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一般社団法人 社会構想デザイン機構
ISVD-LAB-003基盤構築

文献マップ: EBPMの系譜 — エビデンスに基づく政策立案とISVDのデータ駆動アプローチ

ヨコタナオヤ(横田直也)
約11分で読めます

EBM(根拠に基づく医療)からEBPM(根拠に基づく政策立案)への展開、ナッジ・RCT革命・日本のEBPM制度化を文献で辿り、ISVDの「構造の真の姿を問う」アプローチとの差異を明確にする。

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このノートは社会構想デザイン研究室(ISVD-LAB-003)の文献マップシリーズの一篇である。エビデンスに基づく政策立案(EBPM)の知的系譜を辿り、ISVDのデータ駆動アプローチがどこに位置するのかを明らかにする。

概観 — 医学の手続きが政策へ渡ってきた

(エビデンスに基づく政策立案)は、21世紀の公共政策における支配的パラダイムとなった。「思い込みや前例ではなく、客観的な根拠に基づいて政策を立案・評価せよ」という主張は、一見すると反論の余地がない。しかし、「何がエビデンスとして数えられるのか」「誰がそのエビデンスを生産し、誰の問いに答えているのか」という問題は、EBPMの推進者自身によってはほとんど問われてこなかった。

ISVDはデータ駆動型の社会分析を方法論の中核に据えている。e-Stat APIを通じた政府統計の自動取得、統計ダッシュボードの構築、定量データに基づくコラム執筆。これらは表面的にはEBPMと共鳴する。だが、ISVDの問いは「我々の政策は効いたか?」ではなく「この問題の真の姿はどうなっているのか?」である。この差異を明確にするために、EBPMの知的系譜を文献に基づいて辿る必要がある。

主要著作の年表

参考文献と、本文で触れた制度の設置・宣言を年で並べる。

著作・出来事系譜
1972Cochrane『Effectiveness and Efficiency』医学
1996Sackett ほか「Evidence based medicine: what it is and what it isn't」医学
1999英国『Modernising Government』白書、NICE 設立制度
2000Campbell Collaboration 設立制度
2008Thaler & Sunstein『Nudge』(邦訳は 2022 年の完全版)行動経済学
2010英国 Behavioural Insights Team 設立制度
2016Cairney『The Politics of Evidence-Based Policy Making』批判
2017統計改革推進会議 最終取りまとめ、EBPM 推進委員会の設置日本
2018Deaton & Cartwright「RCT の理解と誤解」批判
2018–19毎月勤労統計の不正が発覚日本
2019Banerjee・Duflo・Kremer にノーベル経済学賞開発経済学
2022RIETI に EBPM センター開設日本

Proctor & Schiebinger(2008)も参考文献に入れているが、EBPM の系譜ではなく ISVD 側の視座として引いているため、年表からは外した。

年で並べると 2 つ読める。第一に、手続きは医学で確立してから政策へ渡った。 第二に、この年表で日本が最初に現れるのは 2017 年で、英国が方針として宣言した 1999 年から 18 年、Cairney が「政策立案は政治的な過程であり、エビデンスは その中で選択的に使われる」と書いた 2016 年よりも後である。 日本は、批判が出そろった後に制度を入れたことになる。

系譜 — 医学から政策へ

年表の系譜列に沿って、医学・行動経済学・開発経済学の順に追う。

エビデンス階層の誕生: EBMからEBPへ

EBPMの知的源流は、医学におけるArchie Cochraneに遡る。Cochraneは1972年の著書 Effectiveness and Efficiency において、医療行為はランダム化比較試験(RCT)によって検証されるべきだと主張した。この主張は、1990年代にDavid Sackettらによって「エビデンスに基づく医療(EBM)」として体系化された(Sackett et al., 1996(外部サイト、新しいタブで開きます))。EBMの核心は「エビデンス階層」(メタ分析とRCTを頂点とし、専門家の意見を最下位に置くピラミッド)にある。

この医学の方法論が公共政策へと越境したのが、1990年代末の英国である。1999年、ブレア政権は白書 Modernising Government を発表し、「エビデンスに基づく政策立案」を政府の公式方針として宣言した。NICE(1999年設立)が医療政策においてエビデンスの制度的活用を先導し、Campbell Collaboration(2000年設立)が社会政策・教育・刑事司法分野へとエビデンスの統合を拡張した。

ナッジの台頭と行動経済学の政策応用

EBPMの第二の波は、行動経済学の政策応用として到来した。Thaler & Sunsteinの 2008 年の Nudge(邦訳は 2022 年の『NUDGE 実践 行動経済学 完全版』(外部サイト、新しいタブで開きます))は、人間の認知バイアスを前提とした政策設計(選択アーキテクチャ)を提唱した。

英国は2010年にBehavioural Insights Team(BIT)(通称「ナッジ・ユニット」)を内閣府内に設立し、EASTフレームワーク(Easy, Attractive, Social, Timely)を政策設計に導入した。ナッジは「小さな介入で大きな行動変容を」という費用対効果の物語と結びつき、緊縮財政下の政府にとって魅力的なツールとなった。

RCT革命と開発経済学

EBPMの第三の波は、開発経済学における「RCT革命」である。Abhijit Banerjee、Esther Duflo、Michael Kremerは、途上国の貧困削減策をRCTで検証する方法論を確立し、2019年にノーベル経済学賞を受賞した(外部サイト、新しいタブで開きます)。彼らが設立したJ-PAL(Abdul Latif Jameel Poverty Action Lab)はMIT内に設置され、1,000件以上のRCTを実施・支援してきた。

RCT革命は、「エビデンスに基づく政策」を「RCTに基づく政策」へと狭義化する力学を生んだ。この動向に対し、Deaton & Cartwright(2018)(外部サイト、新しいタブで開きます)は「RCTだけでは因果メカニズムの理解に至らない」と批判し、エビデンス階層の再考を求めた。

日本での受容 — 制度化と課題

日本におけるEBPMの制度化は2017年に本格化した。「統計改革推進会議最終取りまとめ」においてEBPMの推進が政府方針として明記され、内閣官房にEBPM推進委員会が設置された。RIETIは2022年にEBPMセンターを開設し、政策評価の方法論研究と実践支援を開始した。

政府統計のオープン化も進んだ。e-Statは政府統計の総合窓口としてAPI提供を拡充し、RESAS(地域経済分析システム)は地方自治体の政策立案を支援するデータプラットフォームとして整備された。

しかし、日本のEBPMにはいくつかの構造的問題がある。第一に、2018〜19年に発覚した毎月勤労統計の不正問題は、エビデンスの基盤となる政府統計そのものの信頼性を揺るがした。第二に、「EBPM」の名のもとに既存の政策を事後的に正当化する「疑似EBPM」の横行が指摘されている。予算獲得のために都合のよいデータだけを選択的に提示し、不都合なエビデンスを無視する実践である。

EBPM への批判 — 政治と知識の関係

EBPMへの学術的批判は、単なる方法論上の議論にとどまらない。Cairney(2016)(外部サイト、新しいタブで開きます)The Politics of Evidence-Based Policy Making において、「政策立案は本質的に政治的プロセスであり、エビデンスはその中で選択的に利用される」と論じた。科学者が想定する「エビデンス → 政策」という線形モデルは、現実の政策過程においてはほとんど成立しない。

Deaton & Cartwright(2018)(外部サイト、新しいタブで開きます)はさらに踏み込み、RCTの「内的妥当性」の高さが「外的妥当性」(別の文脈への適用可能性)を保証しないことを指摘した。ある地域で効果があった介入が、異なる制度・文化・社会構造のもとで同じ効果を持つとは限らない。

これらの批判が共通して問うているのは、「誰のための、何のためのエビデンスか」という根本的な問いである。そしてこの問いは、ISVDの問題設定に直接接続する。

鍵となる概念 — 問いの立て方が違う

EBPMのパラダイムとISVDの差異

EBPMの基本的な問いは「我々の政策は効いたか?」(Did our policy work?)である。この問いの構造には、いくつかの前提が埋め込まれている。

  1. 問題は既に定義されている: EBPMは、何が問題であるかについては争いがないことを前提とする。しかし現実には、「何が問題なのか」の定義そのものが政治的に構成される。
  2. エビデンスは中立的である: データは客観的な事実を反映するとされるが、何を測定し、何を測定しないかの選択はすでに価値判断を含んでいる。
  3. 政策は問題解決のためにある: しかし、Cairneyが指摘するように、政策は予算獲得・政治的正当化・組織維持など、問題解決以外の目的にも用いられる。

ISVDの問いは「この問題の真の姿はどうなっているのか?」(What is the true shape of this problem?)である。この問いは、問題の定義そのものを疑うところから始まる。

ISVDのデータ駆動アプローチは、EBPMと表面的にはツールを共有する。統計データの取得、定量的分析、可視化である。だが目的が異なる。EBPMにおけるデータは「政策の効果を測定する道具」であるのに対し、ISVDにおけるデータは「不可視の構造を浮かび上がらせる手がかり」である。この差異は、「社会構想デザインの知的座標」(このサイトの記事)で述べた6つの知的源流のうち、の視座から生まれている。

構造の暴露 vs 予算の正当化

EBPMが制度として定着する過程で、しばしば「疑似EBPM」が生まれる。これは、政策の正当化のためにエビデンスを選択的に利用する実践であり、日本の毎月勤労統計不正はその極端な事例である。

ISVDのアプローチは、この「疑似EBPM」の対極に位置する。ISVDは特定の政策を推進する立場を持たない。目的は構造の暴露(社会がどのような形をしているのかを、可能なかぎり正確に描き出すこと)にある。ここにおいて、ISVDのデータ駆動アプローチは、EBPMの政策評価とは異なり、の方法論的態度に近づく。不確実性が高く、利害が対立し、意思決定が急がれる状況において、「正解」を提示するのではなく「構造」を可視化するという姿勢である。

ISVDにとってのEBPMの系譜の意味

EBPMの系譜をISVDが学ぶべき理由は3つある。

第一に、方法論の洗練。RCT・系統的レビュー・メタ分析などのエビデンス統合の手法は、ISVDが社会構造を分析する際の方法論的な参照点となる。エビデンス階層の議論は、「どのデータをどこまで信頼してよいか」という判断の枠組みを提供する。

第二に、制度的失敗からの学び。日本のEBPM推進における疑似EBPM・統計不正の事例は、データを扱う組織が陥りうる罠を示している。ISVDがオープンアクセスと独立性を重視するのは、こうした制度的失敗への応答でもある。

第三に、批判的対話の相手。Cairney、Deaton & Cartwrightらの批判は、ISVDの問題設定(「誰のためのエビデンスか」「何が測定されていないのか」)と共鳴する。EBPMの批判者たちが政策過程の内部から提起している問いを、ISVDは市民社会の側から問い直す。

限界 — 先行研究が届いていないところ、ISVD が届いていないところ

ここまでは EBPM が何を積み上げたかを書いた。積み上がっていない側を書く。

先行研究の側。 Cairney も Deaton & Cartwright も、政策過程の内側からの批判である。 政策を作る側がエビデンスをどう使うかは論じるが、政策の外にいる市民が何を知り得ないかは どちらも扱っていない。年表の批判の行は 2016 年と 2018 年で止まっており、それ以降の議論を この地図は追っていない。ナッジについても、この地図は導入の経緯を追っただけで、 効果量そのものは検討していない。

ISVD の側。 ISVD の問いは「この問題の真の姿はどうなっているのか」だと書いた。 だが、真の姿に到達したかを判定する基準を ISVD は持っていない。EBPM には少なくとも 「効いたか」を測る手続きがある。基準の無さは身軽さであると同時に、外から検証されない ということでもある。

特定の政策を推進する立場を持たないとも書いた。ただし、何を記事にするかの選択そのものが 問題の定義に影響する。その選択の基準を ISVD は公開していない。

e-Stat の自動取得を方法論の中核に据えていると書いているが、実装済みのデータセットは 年齢別完全失業率と職種別平均賃金の 2 件である(2026 年 8 月 26 日時点)。 データセット一覧のページはまだ無い。EBPM の批判者に向き合うだけの分量は、まだ無い。

参考文献

Evidence based medicine: what it is and what it isn'tSackett, D. L., Rosenberg, W. M., Gray, J. M., Haynes, R. B., & Richardson, W. S. (1996). BMJ, 312(7023), 71-72

The Politics of Evidence-Based Policy MakingCairney, P. (2016). Palgrave Macmillan

Understanding and misunderstanding randomized controlled trialsDeaton, A. & Cartwright, N. (2018). Social Science & Medicine, 210, 2-21

The Nobel Prize in Economic Sciences 2019: Banerjee, Duflo, KremerThe Royal Swedish Academy of Sciences (2019). NobelPrize.org

RIETI EBPMセンター — エビデンスに基づく政策形成プロジェクト独立行政法人経済産業研究所 (2022). RIETI

Agnotology: The Making and Unmaking of IgnoranceProctor, R. N. & Schiebinger, L. (2008). Stanford University Press

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