このノートは社会構想デザイン研究室(ISVD-LAB-003)の研究体系の全体像である。各テーマの詳細は個別ノートを参照されたい。
研究の問い: 「社会構想デザイン」はどの学術的座標に位置するのか
ISVDは設立以来、「社会構想デザイン」という言葉を活動の中核に据えてきた。しかしこの概念は、既存の学術分野の名称ではない。デザイン学にも社会学にも政策学にも、そのまま対応するディシプリンは存在しない。では、社会構想デザインはいったい何なのか。独自の方法論なのか、既存分野の寄せ集めなのか、あるいは単なるスローガンなのか。
この問いに答えるために、本研究室はISVDが蓄積してきた104本超の記事に含まれる977件のCitationを手がかりに、社会構想デザインの知的源流を体系的に整理する。引用分析から浮かび上がったのは、6つの学術分野が交差する独自の知的座標であった。
社会構想デザインとは、構造的社会分析(不可視の問題を特定する)、認識論的批判(なぜ不可視のままなのかを問う)、デザイン実践(洞察を具体的介入に変換する)の三つの営みが交差する場所に位置する方法論的立場である。本ノートではこの仮説を提示し、6つの源流の概観と、既存デザイン研究との差異を明らかにする。
6つの知的源流
源流1: 社会政策・福祉経済学
社会構想デザインの第一の源流は、日本の社会政策研究にある。橘木俊詔(1998)が『日本の経済格差』で提示した格差の実証分析、権丈善一(2016)が展開した社会保障の政治経済学。これらは「何が起きているのか」を数値で明らかにする営みであり、ISVDの統計データ分析の直接的な基盤となっている。
厚生労働省の労働力調査、賃金構造基本統計調査、国民生活基礎調査といった政府統計は、社会の構造を可視化するための基礎的インフラである。社会構想デザインは、これらの統計データを単に引用するのではなく、データの「読み方」そのものを設計対象とする。どの数値を並べ、どの比較軸を設定するかによって、同じデータから異なる物語が立ち上がる。その設計行為自体が、社会構想デザインの実践の一端である。
源流2: アグノトロジー・科学論
第二の源流は、Robert Proctor & Schiebinger(2008)が体系化したアグノトロジー(無知学)である。これはISVDの無知学研究室(ISVD-LAB-001)で既に本格的な研究が進行中の分野であり、社会構想デザイン全体にとっても不可欠な知的基盤をなす。
アグノトロジーが問うのは、「なぜ私たちは重要なことを知らないのか」である。タバコ産業による健康被害エビデンスの組織的隠蔽、化石燃料産業による気候変動科学への疑義製造。これらの事例が示すのは、無知が偶然の産物ではなく、しばしば意図的に生産・維持されるという事実である。社会構想デザインは、この「無知の生産」メカニズムを直視することで、表面的な情報提供ではなく、構造的な知識アクセスの再設計を志向する。
源流3: 認識論・知の政治学
第三の源流は、Miranda Fricker(2007)が提唱した認識的不正義(Epistemic Injustice)の概念に代表される、知の政治学の系譜である。Frickerは、ある人の証言が社会的偏見によって不当に信用されない「証言的不正義(Testimonial Injustice)」と、自分の経験を理解するための概念的資源が社会的に欠如している「解釈的不正義(Hermeneutical Injustice)」を区別した。
Charles W. Mills(1997)は「白い無知(White Ignorance)」の概念を通じて、支配的集団が自らの特権を認識しないことが社会構造の維持にいかに機能するかを明らかにした。Linsey McGoey(2012)は「戦略的無知」の概念を展開し、知らないことが権力にとって機能的であるメカニズムを分析した。
社会構想デザインにとって、この源流は「誰の声が知識として認められるか」という根本的な問いを提供する。NPOの現場知が「エビデンスではない」として退けられるとき、そこには認識的不正義の構造が働いている。
源流4: 参加型デザイン・社会デザイン
第四の源流は、デザイン学の中でも社会変革を志向する潮流である。Terry Irwin(2015)が提唱したトランジションデザイン(Transition Design)は、社会-技術システムの長期的変革をデザインの射程に含めた。NESTAに代表される社会イノベーション機関は、公共サービスのデザインを通じた社会課題への介入を実践してきた。
北欧に起源を持つ参加型デザイン(Participatory Design)は、デザインプロセスへの当事者参加を原則とし、専門家と市民の間の権力関係を問い直す方法論的伝統を形成してきた。Co-designやCo-productionの概念は、この系譜に連なるものである。
社会構想デザインは、これらのデザイン手法を方法論的資源として活用しつつも、後述するように、デザインの対象と射程において独自の立場をとる。
源流5: EBPM(証拠に基づく政策形成)
第五の源流は、EBPM(Evidence-Based Policy Making)の潮流である。政策形成においてエビデンスを重視するというこの原則は、医学におけるEBM(Evidence-Based Medicine)の影響を受け、2000年代以降の英国を起点に世界的に広がった。
しかし、EBPMの実践はしばしば困難に直面する。エビデンスの「質」を誰がどのような基準で判断するのか。ランダム化比較試験(RCT)を最上位に置くエビデンス・ヒエラルキーは、NPOの実践知や当事者の経験的知識を構造的に周縁化する。McGoey(2012)が指摘したように、「データが不十分」というレトリックは政策不作為を正当化する戦略的無知の一形態ともなりうる。
社会構想デザインは、EBPMの「エビデンスを使う」という志向を共有しつつ、エビデンスの選別と解釈に埋め込まれた権力構造を批判的に検討する。データを提示するだけでなく、「なぜこのデータが見えにくいのか」を問うことが、社会構想デザインのEBPMへの貢献である。
源流6: NPO・市民社会論
第六の源流は、NPO・市民社会セクターの理論と実践である。日本では1998年の特定非営利活動促進法(NPO法)施行以降、市民による社会課題への組織的取り組みが制度的基盤を得た。しかし、NPOセクターは慢性的な資源不足、専門人材の不足、社会的認知の低さといった構造的課題を抱え続けている。
ISVDの活動は、このNPOセクターの実態と直接的に向き合うものである。情報プラットフォームの構築、実務ガイドの提供、統計データの可視化。これらはすべて、NPOが抱える「情報到達格差」——社会的に重要な情報が、それを最も必要とする人々に届かないという構造的問題——に対する具体的な介入として位置づけられる。
市民社会論の視座は、社会構想デザインに「誰のためのデザインか」という問いを常に突きつける。
交差点の仮説: 構造的社会分析 x 認識論的批判 x デザイン実践
6つの源流を俯瞰すると、社会構想デザインは三つの知的営みが交差する場所に成立していることが見えてくる。
- 構造的社会分析: 社会政策・福祉経済学とNPO・市民社会論を基盤に、「何が起きているのか」を数値と構造で明らかにする。不可視の問題を特定する営み
- 認識論的批判: アグノトロジー・認識論・EBPMの批判的検討を基盤に、「なぜその問題が不可視のままなのか」を問う。知識と無知の生産メカニズムを解明する営み
- デザイン実践: 参加型デザイン・社会デザインを基盤に、分析と批判から得られた洞察を具体的な介入——情報設計、制度設計、サービス設計——に変換する営み
この三つのうちいずれか一つだけであれば、既存の学術分野で十分にカバーされる。社会政策学は構造的社会分析に長けているし、科学技術社会論(STS)は認識論的批判の蓄積が豊富であるし、デザイン学にはデザイン実践の方法論が確立されている。社会構想デザインの独自性は、この三つを 同時に 遂行するところにある。
既存デザイン研究との差異
社会構想デザインと既存のデザイン研究との差異を整理する。
| 比較軸 | サービスデザイン | トランジションデザイン | スペキュラティブデザイン | 社会構想デザイン |
|---|---|---|---|---|
| 主な対象 | サービス接点・ユーザー体験 | 社会-技術システムの長期変革 | 未来シナリオの構想 | 不可視の社会構造 |
| 時間軸 | 短〜中期 | 長期(世代単位) | 未来志向 | 現在の構造分析から出発 |
| 認識論的態度 | ユーザーニーズの発見 | システム思考 | 問いの提起 | 無知の構造の解明 |
| エビデンスとの関係 | 定性調査・ユーザーリサーチ | 複雑系理論 | フィクション | 統計データ + 認識論的批判 |
| 実践の形態 | プロトタイピング | ビジョニング | 展示・議論 | 情報設計 + 制度提言 |
最も重要な差異は、 認識論的態度 にある。サービスデザインもトランジションデザインも、「問題はある程度見えている」ことを前提とする。社会構想デザインは、「なぜその問題が見えないのか」から出発する。問題の不可視性そのものを分析対象とし、不可視の構造を解きほぐすことを通じて、はじめて有効な介入の手がかりを得る。
スペキュラティブデザインとは「問いを立てる」という姿勢を共有するが、スペキュラティブデザインが未来のシナリオを通じて問いを投げかけるのに対し、社会構想デザインは現在の構造の中に埋もれた問いを掘り起こす。
本研究室の研究計画
社会構想デザイン研究室(ISVD-LAB-003)は、以下の5つのフェーズで研究を進める。
- Foundations(基盤整理): 6つの源流の体系的な文献調査と、ISVDの既存記事977件のCitationネットワーク分析。本ノートがこのフェーズの起点となる
- Critique(批判的検討): 各源流の限界と盲点の分析。特に、既存デザイン研究が「認識論的批判」を欠いている問題を掘り下げる
- Synthesis(統合): 三つの交差点——構造的社会分析・認識論的批判・デザイン実践——の方法論的統合。「社会構想デザイン」を学術的に定義可能な概念として精緻化する
- Publication(公開): 研究成果の段階的公開。ISVDサイト上のノートとして蓄積し、最終的に方法論ペーパーとしてまとめる
- Discourse(対話): 研究者・実務者との対話を通じた概念の検証と発展
やるべきこと
- 6分野の主要文献のマッピングと相互関係の整理
- 977件のCitationデータからの知的ネットワーク可視化
- 「社会構想デザイン」の方法論的定義の精緻化
- 無知学研究室(ISVD-LAB-001)との研究連携
- 日本の社会文化的文脈における独自性の言語化
やらなくていいこと
- 既存デザイン分野の網羅的サーベイ(必要な範囲で参照すれば十分)
- 新しいデザイン手法の開発(方法論の「発見」ではなく「整理」が目的)
- 特定の学術分野への帰属表明(学際的な立場を維持する)
- 「社会構想デザイン」の商標化やブランディング(学術的誠実さが優先)
参考文献
Agnotology: The Making and Unmaking of Ignorance — Proctor, R. N. & Schiebinger, L.. Stanford University Press
Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing — Fricker, M.. Oxford University Press
Strategic unknowns: towards a sociology of ignorance — McGoey, L.. Economy and Society, 41(1), 1-16
Transition Design: A Proposal for a New Area of Design Practice, Study, and Research — Irwin, T.. Design and Culture, 7(2), 229-246
The Racial Contract — Mills, C. W.. Cornell University Press
参考書籍
ちょっと気になる社会保障 V3 — 権丈善一. 勁草書房
The Unknowers: How Strategic Ignorance Rules the World — McGoey, L.. Zed Books
