何が起きているのか
「参加(participation)」という概念は、デザインの歴史において繰り返し再発明されてきた。1960年代の市民参加論、1970年代の北欧における職場民主主義運動、1980年代のスカンジナビア参加型デザイン、2000年代の共創(co-creation)、2010年代の社会イノベーション。いずれも「誰がデザインするのか」という権力の問いを含んでいる。
しかし、この系譜を一本の線として読み直すと、ひとつの構造的な盲点が浮かび上がる。これらのアプローチはすべて、「既知の問題」を前提としている。参加する人々がいる、ニーズが把握されている、コミュニティが存在する——こうした前提の上に参加型デザインは成り立ってきた。では、問題そのものがまだ認識されていない場合はどうなるのか。参加すべき人々が「当事者」として可視化されていない場合は?
本稿は、ArnsteinからManziniに至る参加型デザインの文献的系譜を整理し、ISVDの方法論がこの系譜のどこで分岐するのかを明確にする。
背景と文脈
Arnstein——参加は権力の問題である
参加型デザインの系譜は、デザイン学の内部からではなく、都市計画と政治学の交差点から始まった。Arnstein(1969)の論文「A Ladder of Citizen Participation」は、市民参加を8段階の梯子として類型化した。最下段の「操作(Manipulation)」「療法(Therapy)」は非参加であり、中段の「情報提供」「意見聴取」「懐柔」は形式的参加にすぎず、真の参加は上段の「パートナーシップ」「権限委譲」「市民統制」においてのみ成立する。
この梯子が決定的に重要なのは、参加を技法ではなく権力再分配(redistribution of power)の問題として定式化した点にある。Arnsteinはアメリカの都市再開発プログラムにおける住民参加の形骸化を分析し、参加の「形式」と「実質」の乖離を体系的に指摘した。
Arnsteinの梯子は半世紀を経た現在でも参照され続けているが、重要な限界がある。梯子は「既に参加の場に招かれた人々」を前提としており、「そもそも参加の場に存在しない人々」——すなわち問題として認識すらされていない当事者——を射程に含まない。この盲点が、後の参加型デザインの系譜全体に継承されることになる。
北欧参加型デザイン——職場民主主義からの出発
1970年代から1980年代にかけて、スカンジナビア諸国で参加型デザイン(Participatory Design: PD)が独自の方法論として確立された。その出発点は技術革新ではなく、職場民主主義(workplace democracy)であった。
Pelle Ehnが主導したUTOPIAプロジェクト(1981-1985)は、スウェーデンの印刷労働者組合と協働し、コンピュータ導入に伴う労働環境の変化を労働者自身がデザインに関与する形で進めた。Ehnの『Work-Oriented Design of Computer Artifacts』(1988)は、この実践を理論化し、デザインプロセスへの当事者参加を単なる手法ではなく、民主主義の実践として位置づけた。
北欧PDの特徴は三つある。第一に、労働組合という組織的基盤を持っていたこと。第二に、デザイナーと利用者の間の権力非対称を明示的に問題化したこと。第三に、プロトタイピングやモックアップといった具体的な手法を開発し、専門知識を持たない参加者がデザインプロセスに実質的に関与できる仕組みを作ったこと。
しかし、北欧PDの射程は基本的に「職場」という限定された空間に留まっていた。参加する主体は労働者として明確に同定されており、問題(技術導入が労働条件に与える影響)もまた明確であった。社会全体の構造的不可視性を扱う枠組みは、この段階では形成されていない。
Papanek——デザインへの道徳的批判
北欧PDが職場から出発したのとほぼ同時期に、Victor Papanekはデザイン専門職そのものに対する根本的な道徳批判を展開していた。『Design for the Real World: Human Ecology and Social Change』(1971)は、デザイナーが豊かな消費者のためだけにデザインし、世界人口の大多数のニーズを無視している現実を痛烈に批判した。
Papanekの議論は、参加型デザインの系譜に二つの重要な問いを投げかけている。第一に、「誰のためにデザインするのか」という問い。第二に、「デザインしないことの倫理的責任」という問いである。既存のニーズに応えないことは、消極的な選択ではなく、積極的な排除であるとPapanekは主張した。
Papanekの限界は、問題提起の力強さに対して方法論的な具体性が弱い点にある。「第三世界のためのデザイン」という主張は、善意に基づくものであったが、当事者の主体性を前景化する参加型デザインの方法論とは異なり、デザイナーの道徳的自覚に依拠する傾向があった。それでもなお、デザインの社会的責任を制度的に問うた最初の体系的著作として、以後の社会デザイン研究すべての源流に位置する。
Sanders & Stappers——共創のスペクトラム
2000年代に入り、Elizabeth SandersとPieter Jan Stappersは、参加型デザインの歴史的展開を「design for」「design with」「design by」という三つのスペクトラムとして整理した。Sanders & Stappers(2008)の論文「Co-creation and the New Landscapes of Design」は、デザインの主体が専門家から市民へと移行する歴史的潮流を俯瞰し、共創(co-creation)をデザイン研究の中心概念として位置づけた。
「design for」は、デザイナーが利用者のためにデザインする従来型のアプローチである。「design with」は、デザイナーと利用者が協働する参加型のアプローチ。「design by」は、利用者自身がデザインの主体となるアプローチである。
Sanders & Stappersの『Convivial Toolbox: Generative Research for the Front End of Design』(2012)は、この理論的枠組みをさらに発展させ、「生成的デザインリサーチ(generative design research)」の具体的な手法——コラージュ、マッピング、ストーリーテリング——を体系化した。これらの手法は、言語化しにくい暗黙知や潜在的ニーズを引き出すことを目的としており、従来のインタビューやアンケートでは捉えられない経験の層にアクセスする。
Sanders & Stappersの貢献は、参加型デザインを学問的に洗練させた点にある。しかし、彼らのスペクトラムもまた「参加する主体が既に同定されている」ことを前提としている。「design for / with / by」のいずれにおいても、デザインの対象となるニーズは何らかの形で認識されていなければならない。認識されていないニーズ、すなわち構造的に不可視にされている問題は、このスペクトラムの射程外にある。
Manzini——誰もがデザインする時代の社会イノベーション
Manziniの『Design, When Everybody Designs: An Introduction to Design for Social Innovation』(2015)は、参加型デザインの射程をさらに拡張し、社会イノベーションの文脈に位置づけた。Manziniの中心的テーゼは、デザインの専門家だけでなく「誰もがデザインする」時代において、デザイン専門家の役割は「解決策を提供すること」から「社会イノベーションを触発し、支援すること」へ変化するというものである。
ManziniはDESIS Network(Design for Social Innovation and Sustainability)を2009年に設立し、世界50カ国以上の大学を結ぶ国際ネットワークを通じて、ローカルな社会イノベーションの事例収集と相互学習の基盤を構築した。彼のアプローチは、ボトムアップの市民的創造性とトップダウンの制度設計を接続する点で、従来の参加型デザインを超える射程を持つ。
しかし、Manziniの枠組みにも明確な限界がある。社会イノベーションの事例として取り上げられるのは、コミュニティガーデン、フードシェアリング、コワーキングスペースといった「既に可視化されている善い実践」が中心である。なぜある問題に対しては社会イノベーションが生まれ、別の問題に対しては生まれないのかという構造的問い——すなわち、イノベーションの不在の原因——は十分に扱われていない。
トランジションデザイン——システムレベルへの拡張
Irwin、Tonkinwise、Kossoff(2015)がカーネギーメロン大学で提唱したトランジションデザインは、参加型デザインの射程をシステムレベルの長期変革にまで拡張した。彼らはオランダのサステナビリティ・トランジション研究から多層的パースペクティブ(MLP)を援用し、社会変革をニッチ・レジーム・ランドスケープの3層で捉える枠組みを提示した。
トランジションデザインの問題意識は、個別のプロジェクトやサービスを超えて、社会技術システム全体の転換をデザインの対象とする点で、参加型デザインの系譜における最も広い射程を持つ。しかし、その壮大さゆえに具体的な介入手法が弱い点は、別稿で詳述した通りである。
日本の文脈——まちづくりとコミュニティデザイン
日本における参加型デザインの系譜は、欧米とは異なる独自の経路をたどっている。「まちづくり」という概念は、1960年代の住民運動に端を発し、都市計画への住民参加の日本的形態として発展してきた。建築家・都市計画家が住民とともに地域の課題に取り組む実践は、北欧PDとは独立に、日本社会の固有の文脈から生まれたものである。
2000年代以降、山崎亮は「コミュニティデザイン」の実践を通じて、日本型参加デザインの新たな展開を示した。『コミュニティデザイン——人がつながるしくみをつくる』(2011)は、デザイナーがモノではなくコミュニティの関係性をデザインする方法を提示し、まちづくりの伝統を現代的なデザイン言語で再解釈した。山崎のアプローチは、studio-L(2005年設立)を拠点に全国で展開され、日本の参加デザインにおける実践的な到達点のひとつである。
早稲田大学の参加型デザイン研究は、まちづくりの伝統と国際的なPD研究を架橋する学術的取り組みとして注目される。日本語圏における参加型デザインの理論化は、英語圏の研究とは異なる社会文化的文脈——合意形成を重視する意思決定文化、「空気を読む」コミュニケーション様式、行政主導の公共空間設計——の中で進展してきた。
構造を読む
参加型デザインの系譜に共通する前提
Arnsteinからトランジションデザインに至る半世紀の系譜を通覧すると、一つの根本的前提が浮かび上がる。すべてのアプローチが、「問題は既に認識されている」ことを暗黙の出発点としていることである。
| 研究者・潮流 | 年代 | 参加の対象 | 暗黙の前提 |
|---|---|---|---|
| Arnstein(市民参加の梯子) | 1969 | 都市再開発の住民 | 再開発プロジェクトは既に存在する |
| Ehn / 北欧PD | 1981- | 職場の労働者 | 技術導入という課題は認識されている |
| Papanek | 1971 | 「第三世界」の人々 | ニーズは存在するが無視されている |
| Sanders & Stappers | 2008 | サービスの利用者 | 利用者は同定されている |
| Manzini / DESIS | 2015 | 地域コミュニティ | コミュニティは組織されている |
| Irwin / トランジションデザイン | 2015 | 社会技術システム | 課題(気候変動等)は認識されている |
| 山崎 / コミュニティデザイン | 2005- | 地域住民 | 地域課題は住民が語れる |
この前提自体は不当なものではない。むしろ、既知の問題に対して参加を組織し、権力構造を組み替える方法論として、参加型デザインの系譜はきわめて有効に機能してきた。問題は、この前提が適用できない領域——問題そのものが構造的に不可視にされている領域——に対して、既存の参加型デザインが方法論的空白を残している点にある。
ISVDの方法論的分岐点
ISVDの社会構想デザインは、参加型デザインの系譜から多くを学びつつも、決定的な一点で分岐する。それは、出発点が「既知のニーズ」ではなく「不可視の問題」であるということである。
この分岐は、ISVDの方法論がアグノトロジー(無知学)の知見を内包していることに由来する。Robert N. Proctorが体系化した無知学は、「なぜある重要な事実が知られないままでいるのか」を問う。社会構想デザインは、参加を組織する前に、まず「何が不可視にされているのか」「なぜ不可視なのか」を構造的に分析する。
具体的には、社会構想デザインの方法論は以下の三段階を踏む。
- 構造的不可視性の特定: 統計データの余白、制度の盲点、政策過程からの排除を分析し、「見えていない問題」を同定する
- 不可視のメカニズムの解明: なぜその問題が不可視なのか——情報の非対称性、認識的不正義、戦略的無知のいずれが作用しているか——を明らかにする
- 可視化と行動接続: 不可視の構造を可視化し、市民的・政策的行動に接続するための情報基盤をデザインする
この三段階は、参加型デザインの「design for / with / by」スペクトラムに先行する、いわば「design before」の位相を形成する。問題が可視化されてはじめて、参加を組織することが可能になるのである。
系譜の中のISVD——批判的継承
ISVDの方法論は、参加型デザインの系譜を否定するものではない。むしろ、批判的に継承するものである。
Arnsteinからは、参加を権力の問題として捉える視座を継承する。Papanekからは、デザインの社会的責任を制度的に問う姿勢を継承する。北欧PDからは、当事者の実質的関与を保証する手法の重要性を学ぶ。Sanders & Stappersからは、暗黙知にアクセスする生成的リサーチの技法を取り入れる。Manziniからは、社会イノベーションのエコシステム設計の視座を共有する。
しかし、これらすべてに先立つ問いとして、ISVDは「なぜその問題は見えないのか」を問う。この問いがなければ、参加は「既に声を持つ人々」の間で閉じてしまう。構造的に声を奪われた人々——認識的不正義の当事者——を参加の場に招き入れるためには、まず彼らが直面している問題を可視化しなければならない。
この意味で、社会構想デザインは参加型デザインの系譜を補完するものである。不可視の構造を可視化することで、参加型デザインの射程を「既知の問題」から「構造的に不可視にされた問題」へと拡張する。
→ 関連: 社会構想デザイン研究室の研究体系 | 社会構想デザイン vs サービスデザイン vs トランジションデザイン | アグノトロジーから「構造的不可視性」へ
参考文献
A Ladder of Citizen Participation — Arnstein, S. R.. Journal of the American Institute of Planners, 35(4), 216–224
Co-creation and the New Landscapes of Design — Sanders, E. B.-N. & Stappers, P. J.. CoDesign, 4(1), 5–18
Transition Design: A Proposal for a New Area of Design Practice, Study, and Research — Irwin, T., Kossoff, G., & Tonkinwise, C.. Design and Culture, 7(2), 229–246





