ざっくり言うと
- 日本の相続税最高税率55%はOECD諸国で最高水準だが、実効税負担は基礎控除の大きさによって大きく異なる
- 2015年の基礎控除引き下げで課税件数は約2倍に急増し、2024年には課税割合が初の10%超を記録した
- 格差是正・二重課税・事業承継という3つの構造的論点が交錯し、単純な「高い・低い」の議論では捉えきれない
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、税務アドバイスではありません。具体的な相続税の申告・対策については税理士等の有資格者にご相談ください。
何が起きているのか
2024年に課税割合10%超を記録し、相続税が中間層にまで広がっている現状
2024年、日本の相続税に一つの節目が訪れた。国税庁が公表した「令和6年分相続税の申告事績の概要」によれば、死亡者数1,605,378人に対し、課税対象となった被相続人は166,730人。課税割合は10.4%に達し、統計開始以来初めて1割を超えた。10人に1人が相続税の課税対象となる時代が到来したことになる。
申告税額の総額も3兆2,446億円と過去最高を更新している。2014年の約1兆3,904億円と比較すると、わずか10年で2.3倍に膨らんだ。この急増の直接的な引き金は、2015年1月に施行された基礎控除の引き下げである。
相続税は「富裕層だけが払う税金」という認識は、もはや過去のものとなりつつある。課税割合の上昇は、相続税が中間層の資産形成にも影響を及ぼす税として再定義されていることを意味する。そして日本の最高税率55%は、OECD諸国の中で最も高い。この「世界最高水準」の税率は、何を意味しているのか。
背景と文脈
8段階の税率構造、基礎控除改正の経緯、国際比較における日本の位置づけ
55%に至る8段階の累進構造
日本の相続税は、2015年の改正以降、8段階の累進税率が適用されている。
国税庁の速算表によれば、法定相続分に応ずる取得金額が1,000万円以下であれば税率は10%、3,000万円以下で15%、5,000万円以下で20%と段階的に上昇し、6億円を超える部分に最高税率55%が適用される。各段階には控除額が設定されており、たとえば6億円超の区分では7,200万円が控除される。
ここで重要なのは、55%という数字の適用条件である。この税率は 「法定相続分に応ずる取得金額」 に対して適用される。遺産総額に55%がかかるわけではない。日本は 「法定相続分課税方式」 を採用しており、各相続人が法定相続分に従って取得したと仮定して税額を計算した後に合算する。この方式は、相続人の数や構成によって実効税率が大きく変動する。
さらに、配偶者には強力な軽減措置がある。「1億6,000万円」または「法定相続分」のいずれか多い金額まで非課税となる配偶者の税額軽減は、多くの相続で税負担を大幅に引き下げる。小規模宅地等の特例(居住用宅地330平方メートルまで評価額80%減額)も、実質的な課税ベースを縮小させている。
名目税率55%と実効税負担率の間には、これらの制度が大きな乖離を生んでいる。
基礎控除引き下げと課税対象の拡大
相続税の課税割合(被相続人に占める課税対象者の比率)
基礎控除引き下げ
5,000万円+1,000万円×人数 → 3,000万円+600万円×人数(2015年1月)
2024: 過去最高
初めて10%を突破
課税割合が急増した転換点は明確である。2015年1月の税制改正で、基礎控除額は「5,000万円 + 1,000万円 x 法定相続人数」から 「3,000万円 + 600万円 x 法定相続人数」 へと4割引き下げられた。法定相続人が配偶者と子2人の3人であれば、非課税枠は8,000万円から4,800万円に縮小した。
この改正の影響は劇的だった。2014年の課税件数56,239人(課税割合4.4%)が、翌2015年には103,043人(課税割合8.0%)へと倍増した。わずか1年で課税対象がほぼ2倍になったのである。
その後も課税割合は上昇を続け、2023年には9.9%、2024年には10.4%に到達した。背景には、基礎控除引き下げの直接効果に加え、株価・地価の上昇による相続財産の評価額増加がある。相続財産の構成を見ると、2021年以降は現金・預貯金が土地を上回って最大項目となり、有価証券の比率も上昇傾向にある。資産価格の上昇が、控除枠を超える相続を増やし続けている構造が読み取れる。
国際比較が映し出す税率の意味
主要国の相続税・遺産税 最高税率
廃止国
スウェーデン(2005年)、オーストラリア(1979年)、カナダ(1970年代)、ニュージーランド(1992年)は相続税を廃止済み
注: 税率のみの比較では実態を反映しない。米国は基礎控除が約17億円と巨額なため実際の課税件数は極めて少ない
最高税率の単純比較では、日本の55%は突出して高い。韓国50%、フランス45%、米国・英国40%、ドイツ30%と続く。だが、この数字だけで各国の相続税負担を比較することはできない。
最も顕著な差異は基礎控除の規模にある。米国の基礎控除は約1,118万ドル(約17億7,000万円)と巨額であり、最高税率40%が適用されるケースは極めて限定的である。英国の基礎控除は32.5万ポンド(約5,500万円)、フランスは直系の場合10万ユーロ(約1,730万円)。日本の4,800万円(3人家族の場合)は、米国とは桁が異なるものの、欧州諸国と比較して極端に小さいわけではない。
課税方式の違いも重要である。日本とフランス・ドイツは「遺産取得者課税方式」(各相続人の取得額に課税)を採用し、米国と英国は「遺産課税方式」(遺産全体に課税)を採用している。方式の違いは、相続人の構成による税負担の変動に直結する。
実効税負担率で見ると、課税価格10億円以上の水準では日本が世界最高水準となる。一方、課税価格が数千万円レベルでは、基礎控除の恩恵により税負担はゼロまたはごく軽微にとどまる。「55%」という名目税率は、税負担の全体像を映す鏡ではない。
一方、相続税を廃止した国々も存在する。スウェーデンは2005年に廃止した。社会民主党政権下での廃止という逆説的な展開の背景には、1989年の外為管理撤廃後に富裕層・企業家の海外移住が急増したこと、IKEA創業家やH&Mなどの家族企業が税回避のため財団や海外法人に資産を移転した実態がある。廃止の公式理由は「事業の実施条件を改善し、世代交代を容易にするため」であった。オーストラリア(1979年)、カナダ(1970年代)、ニュージーランド(1992年)も同様に廃止している。
韓国では2024年7月、サムスン電子の相続をきっかけに、最高税率を50%から40%に引き下げ、子の基礎控除を5,000万ウォンから5億ウォンに拡大する改正案が発表された。最大株主割増評価により実効税率が60%を超えるケースが生じたことへの対応である。
構造を読む
格差是正・二重課税・事業承継の3つの構造的論点と税制設計の方向性
格差是正の装置としての相続税
相続税が存在する根拠の一つは、世代を超えた富の集中を防ぎ、機会の平等を確保することにある。トマ・ピケティが 『21世紀の資本』 で実証的に示したように、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回る状態が持続すれば、資産は労働所得よりも速く増殖し、相続を通じて格差が世代間で固定化される。
日本の少子高齢化は、この構造を増幅させている。相続人の数が減少する中で一人当たりの相続資産は増加傾向にあり、「親の資産力が子の経済的地位を決定する社会」への移行が進んでいる。政府税制調査会の2023年6月中期答申も「格差の固定化を防止しつつ、資産移転の時期の選択に中立的な税制を構築する必要がある」と明示している。
2023年度税制改正では、生前贈与の持ち戻し期間が3年から7年に延長された。これは相続開始前の駆け込み贈与による税負担回避を抑制する措置であり、相続税と贈与税の一体化に向けた方向性を示すものである。経過措置として、延長された4年間(相続開始前3年超から7年以内)の贈与については合計100万円まで加算が免除される。
二重課税という構造的問い
相続税に対するもう一つの根本的な批判は、「二重課税」の問題である。勤労所得に対して所得税・住民税を支払い、さらにその残余資産に相続税が課される構造は、同一の経済価値に二度課税するものだという指摘がある。
この批判に対し、税法学の立場からは明確な反論がなされている。税務大学校論叢は「二重課税であるからといって直ちに違法・違憲とする根拠はなく、どのような税体系を仕組むかは立法府の裁量に委ねられている」と整理する。相続税は「取得の機会」(相続という事象)に対する課税であり、所得税の課税物件とは法的に異なるという論理である。
2010年7月の最高裁判決は、年金形式で支払われる生命保険金について相続税と所得税の二重課税を認定し、「相続税の課税対象となる経済的価値については所得税の課税対象とならない」と判示した。この判決は、二重課税が一律に許容されるわけではないことを示すと同時に、相続税そのものの存在を否定するものではなかった。
二重課税の議論は、税の技術的問題にとどまらない。 「一度課税された資産を再び課税することの正当性」 という問いは、「富の再分配を通じた社会的公正」と「財産権の保護」という二つの原理の緊張関係を映し出している。
事業承継と相続税の構造的矛盾
相続税の構造が最も先鋭的に問題化するのは、中小企業の事業承継の場面である。
2024年版中小企業白書によれば、2023年時点の後継者不在率は54.5%に達する。黒字でありながら廃業・休業する企業の割合は50%を超えており、後継者不在が廃業理由の約3割を占める。
非上場株式の評価額が相続時に確定する一方で、その株式には市場流動性がない。企業の純資産が大きいほど株式評価額は高くなるが、それを換金して納税することは事実上困難である。企業から配当等で資金を引き出せば、そこにさらに所得税が課される。事業承継における二重課税は、理論上の問題ではなく経営者の実感に直結している。
2018年に創設された事業承継税制の特例措置は、非上場株式等の相続税・贈与税を100%猶予・免除する制度であり、この問題への対応として設計された。しかし、特例承継計画の申請件数は2024年度までで21,748件にとどまる。潜在利用層が約12.5万社と推計される中、利用率は4分の1程度に過ぎない。申請・継続要件の複雑さが利用を阻んでいるとの指摘がある。この特例措置の期限は2027年12月31日であり、延長なしの方針が示されている。
農地・不動産の納税資金問題も同根の課題である。換金性が低い資産に対して高額の相続税が発生し、現金納付が困難になるケースは、農業継続の阻害要因となっている。農地等の納税猶予制度(20年の継続耕作で免除)は存在するものの、都市近郊の農地では評価額の上昇が猶予制度の効果を相殺する場面もある。
税率の数字を超えて
相続税をめぐる議論は、三つの座標軸の交差点にある。 格差是正 を重視すれば高い税率と広い課税ベースが正当化される。 財産権の保護と資本蓄積 を重視すれば税率の引き下げや廃止が論じられる。 事業・農業の継承 を重視すれば、特定セクターへの猶予・免除措置の拡充が求められる。
これら三つの論点は相互に矛盾しうるため、すべてを同時に満たす制度設計は容易ではない。スウェーデンが廃止を選び、フランスが持ち戻し期間を15年に設定し、日本が基礎控除の引き下げと事業承継税制を組み合わせているのは、それぞれの社会が異なるバランスを選択した結果である。
55%という数字は、税制の一断面に過ぎない。その数字が誰に、どのような条件で適用され、どのような控除・特例と組み合わさっているかを見なければ、制度の全体像は見えてこない。課税割合が10%を超えた今、相続税は「一部の富裕層の問題」から「社会制度設計の問い」へと移行している。
関連コラム
参考文献
No.4155 相続税の税率 — 国税庁. 国税庁 タックスアンサー
令和5年分 相続税の申告事績の概要 — 国税庁. 国税庁 報道発表資料
相続税・贈与税に係る基本的計数に関する資料 — 財務省. 財務省 税制
Inheritance, Estate, and Gift Taxes in OECD Countries — Tax Foundation. Tax Foundation
How high-tax Sweden abolished its disastrous inheritance tax — Institute of Economic Affairs (IEA). IEA Blog
2024年版中小企業白書 第6節 事業承継 — 中小企業庁. 中小企業庁
