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一般社団法人 社会構想デザイン機構
論考・インサイト

給料が上がらない30年の構造 — 1997年をピークに停滞する日本の賃金メカニズム

ヨコタナオヤ(横田直也)
約8分で読めます

1997年の年収467万円をピークに、日本の実質賃金は30年近く停滞し続けている。OECD主要国で実質賃金上昇率が最低水準にとどまる構造的要因(内部留保637兆円、労働組合組織率16.1%、非正規雇用率36.8%)を解剖し、2025年春闘+5.25%の賃上げが「なぜ手取りに反映されないか」を読み解く。

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ざっくり言うと

  1. 1996年を100とすると、一人当たり名目生産性は英米230〜240・仏独160程度に伸びたのに対し日本はほぼ横ばいで、一人当たり名目賃金は日本だけ4%ほど減っている
  2. 企業内部留保は637兆円(2024年度、13年連続最高更新)だが、生産性+1%に対し賃金は+0.4%しか上昇しない構造
  3. 2025年の実質賃金は4年連続マイナス(−1.3%)。名目にあたる現金給与総額は2.3%増だが、実質化に使う消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)が3.7%上がった

何が起きているのか

名目賃金は回復しても実質賃金が4年連続マイナスという現実

「1997年の平均年収467万円、2025年は465万円。ほぼ30年前と変わってない。その間に、物価は上がり、社会保険料も上がり、税金も増えている。気づかないうちに、日本は"貧しくなる国"になっていた」 — Threadsより

「シンプルに疑問なんですけど、なぜ一生懸命働いてもらった給料だけで、普通に暮らせないんですか?」 — Threadsより

この声の背景にある構造を、データで読み解く。

2025年の春季生活闘争は、平均賃金方式で回答を引き出した5,162組合の加重平均が16,356円・5.25%(前年は15,281円・5.10%)で着地した。連合は、1991年の5.66%以来33年ぶりに5%を超えた前年をさらに上回ったと総括している。しかし、労働者の実感は異なる。

2025年の実質賃金は 前年比1.3%減で、4年連続のマイナスだった。名目にあたる現金給与総額は355,919円で2.3%増だったが、実質化に使う消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)の前年比3.7%上昇に追いつかなかった。賃上げは来たが、物価がそれを上回る。手取りの実質的な購買力は下がり続けている。

この構図は2025年に始まったものではない。日本の名目賃金のピークは 1997年の年収467万円(国税庁「民間給与実態統計調査」)。その後25年以上にわたって横ばいが続いた。2024年に478万円と名目では過去最高を更新したが、物価上昇を差し引いた実質では依然として1997年を下回る。

国際比較がこの停滞の異常さを際立たせる。1996年を100とすると、一人当たり名目生産性はイギリス・アメリカで230〜240、フランス・ドイツでも160程度に伸びた一方、日本はほぼ横ばい。一人当たり名目賃金も、日本以外の全ての国で生産性と同程度に増えたのに対し、日本は4%ほど減っている

問われているのは「なぜ賃上げが起きないのか」ではない。春闘は5%台の賃上げを実現している。問題は 「なぜ賃上げが手取りの実質的な増加に結びつかないのか」 という構造にある。

背景と文脈

バブル崩壊後の人件費圧縮から始まる30年の賃金停滞メカニズム

30年停滞の起点: バブル崩壊と「三つの過剰」

1990年代初頭のバブル崩壊後、日本企業は「三つの過剰」、雇用・設備・債務の解消に追われた。人件費圧縮は経営再建の最優先課題となり、1997年をピークに賃金は下降に転じた。

この時期に企業が選択したのが、正規雇用の抑制と非正規雇用の拡大だ。非正規雇用比率は1990年代前半の 16.4%から2024年には36.8% へと倍増した。非正規労働者の平均賃金は正規の約6割。非正規比率の上昇は、統計上の平均賃金を押し下げる効果を持つ。

ただし、非正規拡大だけでは30年の停滞は説明できない。正規雇用者の賃金も上がっていないからだ。

デフレマインドの20年

1998年から2012年までの約15年間、日本はデフレに沈んだ。物価が下がり続ける環境では、企業は価格転嫁ができず、賃上げの原資を確保できない。

日本銀行の展望レポートは、中小企業を中心に賃金上昇の価格転嫁は容易ではないという声が多く聞かれる、と繰り返し記している。「値上げすれば客が離れる」という恐れが、賃上げを避ける理由になり続けた。なお、サービス業の価格転嫁率を日米で比べた数値は、日本銀行の公表資料に見あたらないため落とした。

2013年以降、日銀の異次元緩和政策によりデフレからは脱却したものの、「価格を上げない・賃金を上げない」という行動様式(デフレマインド)は企業文化として根づいたまま残った。

構造を読む

内部留保蓄積・労働組合弱体化・非正規拡大・デフレマインドの複合構造

内部留保637兆円と労働分配率の低下

生産性・賃金の相関係数

1970〜1994年

0.99

相関: 0.99(ほぼ完全連動)

1995〜2021年

0.36

相関: 0.36(乖離が拡大)

生産性+1%に対する賃金上昇率

日本+0.4%
米国+1%

企業内部留保(利益剰余金)の推移

2012年度304兆円
2016年度406兆円
2020年度484兆円
2024年度(最高)637兆円

13年連続過去最高更新。利益は株主還元・内部留保へ、賃金へは還元されにくい構造。

生産性と賃金の乖離 — OECD Compendium of Productivity Indicators(2023年)・財務省法人企業統計(2024年度)

企業の内部留保(利益剰余金)は2024年度に 637兆円 に達し、13年連続で過去最高を更新した。企業は利益を上げている。問題は、その利益が賃金に回らない構造にある。

生産性と賃金が切れた1990年代半ば

生産性と賃金の関係が断絶したのは1990年代半ばだ。厚生労働省「労働経済の分析」は、名目生産性と名目賃金の相関係数を 1970〜1994年で0.99、1995〜2021年で0.36 と算出している。ほぼ一体だったものが、四半世紀で3分の1程度の連動しか残らなくなった。同白書は1990年代後半以降について「生産性の上昇ほどは賃金が増加しづらい状況が継続するようになった」と書いている。同じ白書は、アメリカでは一人当たり名目生産性が1%上昇すると名目賃金もほぼ同じ1%増えるのに対し、日本では名目賃金が0.4%程度しか増えないと書いている。

利益はどこに向かったのか。配当金と自社株買い、つまり株主還元に充てられた。企業のガバナンス改革がROE(自己資本利益率)重視へと舵を切った2010年代以降、この傾向は加速した。内部留保の蓄積もまた、「将来の不確実性への備え」という企業の防衛的行動の帰結だ。

労働組合の構造的弱体化

賃上げを要求する主体である労働組合の力は、歴史的に弱まっている。

日本の労働組合組織率は 16.1%(2024年、過去最低更新)。1949年のピーク時には55.8%あった。組合員の7割以上が大企業に集中しており、中小企業では組合そのものが存在しない事業所が圧倒的多数だ。

さらに、日本の労働組合は「企業別組合」が主流である。ドイツの産業別協約(IG Metallに代表される産業別労働組合が業界全体の賃金を交渉する仕組み)や北欧の連帯賃金制度とは構造が根本的に異なる。企業別組合は、企業の業績悪化を理由に賃上げ要求を自制しがちである。

2025年春闘は大企業で+5%超を達成したが、中小企業との格差は1%超(約6,500円)に上る。組合組織率の低い中小企業で働く労働者にとって、春闘の成果は構造的に届きにくい。

社会保険料という「隠れた収奪」

賃上げが手取りに反映されないもう一つの要因が、社会保険料の増加である。

大和総研の分析(2025年1月)によれば、家計の税・社会保険料負担率は1988年の 20.6%から2023年には25.9% に上昇(+5.3ポイント)。増加分のほぼ全てが社会保険料の引き上げによるものだ。

この結果、 2023年の実質可処分所得は1988年比で月1.1万円減少 した。名目賃金が上がっても、社会保険料と税の天引きが増えれば手取りは増えない。賃上げの成果が社会保険料に吸収される。この構造こそが「賃上げしても豊かにならない」という実感の正体だ。

企業側でも同様の構造が働く。社会保険料は労使折半であるため、賃上げに伴って企業の社会保険料負担も増大する。賃上げ原資の一部が社会保険料に回る構造が、企業の賃上げ意欲を抑えている。なお、法定福利費が給与総額に占める割合の2001年から2020年までの推移は、挙げていた経団連の資料が年末賞与の妥結結果で該当する数字がなく、同会の福利厚生費調査も2019年で終わっているため落とした。

韓国の教訓: 最低賃金の急引き上げは解か

賃金停滞の処方箋として「最低賃金の大幅引き上げ」がしばしば議論される。韓国はこのアプローチを実践した。2018年に+16.4%、2019年に+10.9%の最低賃金引き上げを断行した。

結果は複合的だった。最低賃金近辺で働く労働者の賃金は上昇したが、非正規比率が1年で3.4ポイント上昇し、若年層の失業率も上昇した。最低賃金の急激な引き上げは、雇用の質を犠牲にするリスクを伴う。

日本が参照すべきは、ドイツ型の産業別協約や北欧型の連帯賃金制度かもしれない。これらの仕組みでは、産業全体の賃金水準を組合が交渉するため、企業規模による賃金格差が相対的に小さい。ただし、これらの制度が機能する前提(高い組合組織率(スウェーデン70%、ドイツ約17%だが協約カバー率は約50%))を日本で実現するには、労働運動そのものの再構築が必要になる。


5%上げてもまだ実質マイナス

2025年春闘の+5.25%は歴史的な成果だ。しかし、この数字が示すのは「日本の賃金が上がり始めた」ことではなく、 「5%上げてもまだ実質マイナス」 という構造の深刻さだ。

30年の停滞を生んだ構造(内部留保への利益蓄積、労働組合の弱体化、非正規雇用の拡大、デフレマインド、社会保険料の膨張)は、春闘の賃上げ率を引き上げるだけでは解決しない。生産性の向上を賃金に結びつけるメカニズムの再設計が求められている。

日本の税制と社会保障の構造的問題については、森信茂樹『日本の税制: 何が問題か』(外部サイト、新しいタブで開きます)(岩波書店)が包括的な分析を提供している。労働市場の構造的課題については「非正規雇用2100万人時代の構造転換(このサイトの記事)」を、社会保険料負担の詳細は「106万円の壁撤廃の構造(このサイトの記事)」も参照されたい。

この記事で使った統計の出典

  1. 1日本労働組合総連合会「2025春季生活闘争 まとめ」(2025年7月) 出典を開く
  2. 2厚生労働省「毎月勤労統計調査 2025年分結果速報」(2026年2月公表) 出典を開く
  3. 3国税庁 民間給与実態統計調査(1997年)
  4. 4厚生労働省 令和5年版 労働経済の分析 第Ⅱ部第1章(2023年) 出典を開く
  5. 5総務省 労働力調査(2024年) 出典を開く
  6. 6財務省 法人企業統計調査(2024年度)
  7. 7厚生労働省 令和5年版 労働経済の分析 第Ⅱ部第1章(脚注2)(2023年) 出典を開く
  8. 8厚生労働省 労働組合基礎調査(2024年) 出典を開く
  9. 9大和総研 是枝俊悟・平石隆太(2025年1月) 出典を開く

訂正履歴

  1. 実質賃金と物価指数の組み合わせを直し、出典に無い数値2件を落とし、生産性と賃金の感応度の出典をOECDから厚生労働省の白書に改めました。

    訂正前
    実質賃金は前年比−1.3%。名目賃金は+2.3%上昇したが、消費者物価の上昇率+3.2%に追いつかなかった/OECDの実質賃金上昇率(2001〜2020年)は韓国+38.7%、米国+24.3%に対し日本はわずか+1.4%/日本のサービス業の価格転嫁率は約30%と推計され、米国(ほぼ100%)と比較して著しく低い/法定福利費は2001年から2020年で給与総額比約11%から約15%に上昇した/OECDデータでは、生産性が1%上昇した場合の賃金上昇は日本で約0.4%
    訂正後
    実質賃金は前年比1.3%減。現金給与総額は355,919円で2.3%増だが、実質化に使う消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合)が3.7%上昇/1996年を100とすると一人当たり名目生産性は英米230〜240・仏独160程度で日本はほぼ横ばい、一人当たり名目賃金は日本だけ4%ほど減少/価格転嫁率の日米比較は削除/法定福利費の推移は削除/厚生労働省の白書が示す名目生産性1%上昇に対する名目賃金0.4%

    誤った理由 実質賃金−1.3%は消費者物価指数(持家の帰属家賃を除く総合、前年比3.7%上昇)で実質化した値で、記事が並べていた3.2%は別の指数(総合)です。この指数で実質化すると0.8%減になります。異なる指数を組み合わせていました。OECDの国際比較(韓国+38.7%など)とサービス業の価格転嫁率(約30%/米国ほぼ100%)は、挙げていた出典のどこにも書かれておらず、発行元の公表資料でも確認できなかったため落としました。国際比較は、厚生労働省の白書が公表している1996年基準の比較に置き換えています。法定福利費の推移は、挙げていた経団連のページが年末賞与の妥結結果で、同会の福利厚生費調査も2019年で終わっているため落としました。生産性1%に対する賃金0.4%はOECDではなく厚生労働省の白書の記述です。春闘の賃上げ率5.25%は連合のまとめに一致しますが、「33年ぶり」は前年(2024年)を指す表現なので、係り先を直しています。

    ご指摘 連合「2025春季生活闘争 まとめ」/厚生労働省「毎月勤労統計調査2025年分結果速報」/厚生労働省「令和5年版 労働経済の分析」

  2. 生産性と実質賃金の連動について、出典が示す相関係数を入れました。

    訂正前
    1995年以降は生産性が上昇しても賃金に反映されにくい構造へと変化した
    訂正後
    1970〜1994年で0.99、1995〜2021年で0.36

    誤った理由 「連動が極めて高かった」「反映されにくい」と定性的に書いていましたが、出典は相関係数で示しています。数字で書ける記述に直しました。

読んだ後に考えてみよう

  1. 自分の実質的な手取りは10年前と比べて増えているか
  2. 企業の内部留保637兆円は賃上げに回すべきか、それとも投資に充てるべきか
  3. 日本型の企業別労働組合は賃上げ交渉に有効か

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