ざっくり言うと
- 2026年2月の米・イスラエルによるイラン大規模攻撃の経緯と民間人被害の実態
- 中東原油依存度96%の日本が抱えるエネルギー安全保障の構造的脆弱性
- 軍事介入が市民社会の自律的変革力に与える逆説的影響
何が起きているのか
2025年から2026年にかけての米国・イスラエル対イランの軍事攻撃の経緯と被害状況
2026年2月28日、米国はOperation Epic Fury、イスラエルはOperation Roaring Lionと名付けた大規模軍事作戦を同時に開始した。攻撃目標はテヘラン、イスファハン、コム、カラジ、ケルマンシャー。48時間で約2,000回の攻撃が実施された。暫定被害はイラン側787人死亡(うち民間人555人)、イスラエル側11人、米兵6人、湾岸諸国8人。イランの最高指導者ハメネイは3月1日頃に死亡したとイラン国営メディアが確認している。
この攻撃は突然始まったものではない。2025年6月13日から24日にかけて、イスラエルがイランの核施設を含む約100ヶ所を攻撃する「十二日間戦争」が先行していた。6月22日には米国がOperation Midnight Hammerを発動し、B-2爆撃機7機を投入してフォルドゥ、ナタンツ、イスファハンの核施設を攻撃。GBU-57大型貫通爆弾の初の実戦使用となった。これに対しイランは2025年10月18日にJCPOA(包括的共同行動計画)からの正式離脱を表明し、核開発への制約を自ら放棄した。
2025年12月28日にはイラン全土で1979年のイスラム革命以来最大規模とされる反体制デモが発生した。100都市以上に拡大したこのデモに対する体制側の弾圧では、3,117人から最大32,000人の死者が出たとされる。数字の幅は情報統制の厳しさを反映している。2026年2月3日にはIRGC(イスラム革命防衛隊)海軍がホルムズ海峡で米タンカーの拿捕を試みて失敗する事件も起きた。こうした軍事的エスカレーションの連鎖が、2月末の大規模攻撃へとつながった。
人道面の被害も深刻である。国連人権高等弁務官テュルクは、市民および民間インフラへの攻撃が戦争犯罪に該当する可能性があると指摘した。48時間で約3万人の新規避難民が発生し、既存の6万4千人の国内避難民に加算された。イラン南部ミナーブの小学校への攻撃では多数の女児が死傷した。軍事施設への「精密攻撃」という名目のもとで、民間人の犠牲が積み重なっている。
背景と文脈
軍事衝突に至るまでの核問題、地域情勢、国際関係の変化
この軍事衝突を理解するには、エネルギー安全保障の構造に目を向ける必要がある。日本の中東原油依存度は2025年時点で95〜96.6%と過去最高水準に達している。石油輸入の約75%がホルムズ海峡を通過する。輸入先の内訳はサウジアラビア約44%、UAE約41%、クウェート約7.8%。中東の軍事衝突は日本にとって「遠い国の戦争」ではなく、生活基盤に直結する事態だ。
原油価格への影響はすでに顕在化している。攻撃前のブレント原油価格は約73ドル/バレルだったが、攻撃後82ドルへ約13%上昇した。部分的な供給混乱が生じた場合の試算は100ドル。ホルムズ海峡が完全に封鎖される最悪のシナリオでは最大200ドルとされ、1973年の石油危機を凌駕する水準となる。ゴールドマン・サックスの試算では、6週間の海峡封鎖でアジア地域のインフレ率が0.7ポイント上昇する。日本の電力先物もFY2026東京ベースロードが13.58円/kWhと過去最高を記録し、11%の急騰を見せた。
日本の戦略石油備蓄は約240日分が確保されている。数字だけ見れば一定の余裕があるように見える。だが1973年の石油危機ではOAPECの石油禁輸がわずか5ヶ月で解除されたにもかかわらず、日本経済は深刻な打撃を受けた。備蓄の量と、供給途絶時の社会的混乱は別の問題だ。240日分の備蓄があっても、価格高騰の影響は即座に電力料金、輸送コスト、食料品価格に波及する。備蓄量で測れない脆弱性が、日本のエネルギー構造には組み込まれている。
高市早苗首相はイランの核開発を「絶対に容認できない」と非難した。しかし米国・イスラエルの軍事作戦に対しては明確な支持も非難も表明していない。この曖昧さは日本外交の伝統的なジレンマを映し出している。同盟国・米国への義務と、中東産油国との関係維持と、憲法の平和主義。1973年の石油危機では、日本は米国の方針に反してアラブ寄りの姿勢を示すことで石油禁輸の対象から外れた。2019年には安倍首相がテヘランを訪問し、米イラン間の仲介を試みた。今回の事態は、この50年来のバランス外交がなお有効なのか、あるいは限界に達したのかを問うている。
構造を読む / 社会構想の種
日本のエネルギー安全保障と国際秩序への影響分析
この事態から浮かび上がる構造的な問題を、三つの層で読み解きたい。
第一に、エネルギー依存の「一極集中リスク」の再露呈である。日本の中東原油依存度96%という数字は、半世紀にわたるエネルギー多角化政策の帰結としてはあまりに高い。1973年の石油危機を経て原子力が推進され、2011年の福島第一原発事故を経て再エネが注目され、それでもなお中東依存は過去最高水準に達している。これは個別のエネルギー政策の失敗というより、代替エネルギーへの構造転換がいかに困難であるかを示している。エネルギー安全保障は技術論だけでは完結しない。国際関係、国内政治、産業構造、消費行動のすべてが絡み合う社会設計の問題である。
第二に、「精密攻撃」の神話と民間人被害の構造的不可避性。48時間で約2,000回の攻撃、死者787人のうち民間人555人。全死者の約70%が民間人という数字は、「精密誘導兵器による軍事施設への限定的攻撃」という説明と矛盾する。小学校への攻撃はその象徴だ。現代の軍事技術がいかに進歩しても、人口密集地域への大規模攻撃で民間人被害を回避することは構造的に不可能である。この事実から目を背けたまま軍事行動の是非を論じることはできない。国連人権高等弁務官が戦争犯罪の可能性に言及した重みを、正面から受け止める必要がある。
第三に、国内体制の動揺と軍事介入の相互作用である。2025年12月の反体制デモは、イラン市民社会の内部から生まれた変革の芽だった。100都市以上に広がった抗議運動は、市民が自らの手で体制を問い直そうとする営みだったといえる。しかし外部からの軍事攻撃は、こうした内発的な社会変革の動きを複雑にする。歴史が繰り返し示してきたように、外部の軍事的脅威は国内の権威主義体制を強化する口実を与え、市民社会の空間を収縮させる。3,117人から32,000人とされるデモ弾圧の死者数は、体制が外部脅威を理由に暴力を正当化する構造を如実に表している。軍事介入が「体制転換」をもたらすとしても、その過程で市民社会の自律的な変革力が損なわれるならば、介入後の社会はより脆弱なものになりかねない。
社会構想の観点から問うべきは、軍事的手段によって達成される「安全保障」が、誰のための、何に対する安全なのかという点である。核施設の破壊がイランの核開発能力を低下させたとしても、3万人の新規避難民、破壊された民間インフラ、喪われた市民の命は回復しない。安全保障を国家間の軍事バランスの問題としてのみ捉える見方は、その代償を支払う市民の存在を構造的に不可視にする。日本がこの事態から学ぶべきは、エネルギー供給の多角化という実務的課題だけではない。軍事力の行使がもたらす人的コストを、自国のエネルギー安全保障の文脈に位置づけて直視するという倫理的課題でもある。
残る問い
軍事行動が提起する平和構築と国際協調への課題
日本の中東原油依存度96%は、ホルムズ海峡という幅わずか33kmの水路に国の生活基盤を委ねていることを意味する。240日分の備蓄があるからよいのではなく、240日分の備蓄が必要であること自体が、構造の脆弱性を示している。民間人死者555人、小学校への攻撃、3万人の避難民。これらの数字は、日本が輸入する原油と同じ地域で起きている現実である。エネルギーの安定供給と人間の安全保障は、別々の政策課題ではない。同じ構造の表と裏だ。この構造を見据えたうえで、日本が選択すべきエネルギー政策と外交姿勢はどのようなものか。50年来のジレンマに、私たちはまだ答えを出せていない。
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参考文献
エネルギー白書 2025 — 資源エネルギー庁. 経済産業省 資源エネルギー庁
Oil Market Report — International Energy Agency (IEA). IEA
Statement on Civilian Harm in Iran — United Nations High Commissioner for Human Rights. OHCHR
