ざっくり言うと
- 2026年春闘の賃上げ率は5.26%と3年連続5%超を達成したが、2025年の実質賃金は前年比-1.3%で4年連続マイナス
- 賃上げ分の約4%は物価上昇・社会保険料増・子育て支援金新設で吸収され、手取り増は推計+1.3%程度
- 中小企業の48.4%が「最低賃金1,500円は不可能」と回答し、人件費高騰倒産は前年度比77.2%増の195件に急増
何が起きているのか
春闘5%超の賃上げが3年連続で実現しているのに、実質賃金は4年連続マイナスという逆説的状況
2026年3月、連合が発表した春闘第1回集計の賃上げ率は5.26%だった。3年連続で5%を超え、数字の上では「令和の賃上げ」は着実に進んでいるように見える。
だがこの見出しの裏側に、別の事実がある。
2025年の実質賃金は前年比-1.3%で、4年連続のマイナスを記録した。名目賃金(現金給与総額)は35万5,919円と前年比+2.3%で伸びており、バブル期の1992年以来33年ぶりの2%超が2年連続で達成されている。それでも、物価上昇が賃金上昇を上回り続けた結果、労働者の実質的な購買力は削られ続けている。
名目賃金は上昇しているが、物価上昇がそれを上回り続けたため、実質購買力は4年間一貫して低下した
つまり「賃上げは進んでいる」と「生活は楽にならない」の両方が同時に真である。名目の数字が実質の停滞を覆い隠す構造が、2022年から4年間にわたって固定化されている。
春闘の数字だけを追えば好循環の入口に見える。しかし給与明細を開けば、手取りが思ったほど増えていない現実にぶつかる。この乖離はなぜ生じ、どこに問題の構造があるのか。
背景と文脈
物価上昇・社会保険料増・子育て支援金の三重圧力が賃上げ分を侵食し、中小企業は価格転嫁困難で苦境に立つ
物価が賃金を食う4年間
実質賃金がマイナスになる条件は単純である。名目賃金の上昇率よりも消費者物価指数(CPI)の上昇率が高ければ、購買力は低下する。2022年以降の日本では、この条件が4年間にわたって持続した。
2025年の食料品物価高騰は特に深刻だった。コメの価格がピーク時に前年比60〜80%台の上昇を記録し、日常的な食費負担が急増した。名目賃金+2.3%に対して物価上昇率がそれを上回り続けた構造の中で、月々の家計は「賃金が上がったはずなのに楽にならない」という体感を抱え続けた。
2026年1-3月には、電気・ガス補助金の再開や食料品価格の前年高騰分の「裏」効果により、実質賃金がプラスに転じる可能性が指摘されている。だが第一生命経済研究所や伊藤忠総研は、円安によるエネルギー・輸入食品の再上昇リスクと社会保険料負担増を理由に「プラスの定着」には慎重な見方を示している。
賃上げ5%の中身を分解する
賃上げ5.26%のうち約4%は物価上昇・社会保険料・税で吸収され、実質的な手取り増加は約1.3%にとどまる可能性がある
春闘で合意された賃上げ率5.26%は定期昇給分を含む数字であり、ベースアップ(基本給そのものの引き上げ)はその一部にとどまる。さらに、この5.26%がそのまま手取りに反映されるわけではない。
第一に、物価上昇(CPI)が約3%を吸収する。第二に、健康保険料・介護保険料の段階的引き上げが続いている。第三に、2026年4月からこども家庭庁所管の子ども・子育て支援金の徴収が始まった。
この支援金は、支援金率0.23%(労使折半で本人負担0.115%)と個々の金額は小さいが、年収400万円で月384円、年収800万円で月767円の新たな天引きが加わる。40〜50代では介護保険料との合算で可処分所得がさらに圧縮される。政府は「歳出改革の範囲内」と説明するが、受給者以外にとっては純粋な負担増である。
結果として、名目5.26%の賃上げのうち物価上昇(約3.0%)、社会保険料増(約0.5%)、子育て支援金(約0.1%)、税負担増(約0.3%)の合計で約4%が吸収され、実質的な手取り増は推計+1.3%程度にとどまる可能性がある(日本総研・第一生命経済研究所の各推計を参考に編集部試算)。この「手取りの罠」(本稿での便宜的呼称)とも呼ぶべき構造は、賃上げの数字が持つ印象と生活実感の間に大きなギャップを生み出している。
大企業と中小企業の二重構造
春闘の賃上げ率には、見落とされがちな格差がある。
格差は0.22ポイントと前年の0.38ポイントから縮小しているが、連合が掲げた「全体5%以上、中小6%以上」の目標には届かなかった。そして、春闘の数字に表れない層の問題はさらに深刻である。
全労働者の約83%は労働組合に所属しておらず、春闘の直接的な恩恵を受けない。日本商工会議所の調査では、従業員20人以下の小規模事業所の正社員賃上げ率は3.54%にとどまる。賃上げしない企業の理由トップは「自社の業績低迷」(55.1%)であり、構造的に賃上げの原資がない企業群が存在する。
価格転嫁できない企業の苦境
中小企業が賃上げに踏み切れない根本原因の一つは、人件費の価格転嫁の困難さにある。
帝国データバンクの調査によれば、人件費の価格転嫁率はわずか32.0%である。原材料費(48.2%)や物流費(35.1%)と比べても最も低い。全体の転嫁率は39.4%で、調査開始以来の最低値を記録している。コスト100円増のうち60円超を企業が自己負担するという構造だ。
この構造の中で、賃上げは企業にとって利益を直接圧迫する行為となる。2025年度の人手不足倒産は442件(前年度比43.0%増)で過去最多を記録し、うち人件費高騰を主因とする倒産は195件(同77.2%増)に急増した。賃上げを「頑張った」企業が、価格転嫁できずに倒れていく皮肉な構図が浮かび上がる。
非正規のパラドクス
一方で、非正規雇用の賃上げには注目すべき動きがある。イオンリテールのパート時給は+8.38%と正社員の5.89%を上回り、すかいらーくHDのパートも+6.39%と正社員(5.35%)を超えた。
この背景には人手不足がある。正社員不足を感じる企業は52.3%、非正社員不足は28.8%に達しており、特に流通・外食では時給を引き上げなければ人材を確保できない状況が続いている。
ただし、非正規の賃上げ率が高いことをもって格差縮小と読むのは早計である。2013〜2023年の10年間で非正規時給は+22.0%上昇した一方、正社員給与は+5.2%にとどまる。率の差は縮小しているが、絶対水準の格差は依然として大きい。2025年の最低賃金(全国加重平均1,121円)でフルタイム就労しても、年収は200万円台前半にとどまる。
構造を読む
30年間ほぼ横ばいの賃金水準が国際的に突出した停滞であり、名目5%は出発点に過ぎない
国際比較が示す30年停滞
ここまで見てきた「賃上げ5%でも手取りが増えない」構造は、日本に固有の問題である。それは国際比較で鮮明になる。
厚生労働省の労働経済白書が示すデータによれば、1991年を100とした名目賃金指数で、韓国は約550(5.5倍)、米国は269(2.69倍)、ドイツは206(2.06倍)に成長した一方、日本は103とほぼ横ばいである。30年間で+3%。他のG7諸国が2倍から5倍に賃金を伸ばす中、日本はイタリアと並んで最下位に沈んでいる。
リクルートワークス研究所の分析でも同様の傾向が示されている。OECDの平均年間賃金ランキングで日本は4.2万ドル(34カ国中25位)であり、米国(約8万ドル)の半分、韓国(約4.9万ドル)をも下回る。
この文脈に置くと、春闘5%超の賃上げは「30年間の停滞からの反転のきっかけ」であり、「十分な達成」ではないことが見えてくる。名目5%は国内的には歴史的な高水準だが、国際的な後れを取り戻すにはなお長い道のりが必要である。
最低賃金1,500円の壁
政府は最低賃金を2020年代中に全国加重平均1,500円に引き上げる目標を掲げている。現行の1,121円から1,500円に到達するには、年間95円超の引き上げを複数年にわたって続ける必要がある。
しかし東京商工リサーチの調査では、「最低賃金1,500円は不可能」と回答した中小企業は48.4%に達する。76.6%が現在の水準にすでに負担感を持っている。
最低賃金の引き上げは非正規労働者の処遇改善に直結するが、価格転嫁率32%の構造が変わらない限り、引き上げコストの大部分は企業の利益圧迫として吸収される。賃上げを義務づけても、それを支える収益構造がなければ、廃業・倒産という形で「調整」が起きる。
名目5%は出発点に過ぎない
本記事の前編にあたる「人手不足なのになぜ給料は上がらないのか」では、モノプソニー・補助金・労働移動コストが賃金上昇を構造的に阻害している実態を分析した。本記事で見た2026年春闘データは、その構造の「続き」を示している。
賃上げは起きている。しかし、名目の勝利は物価・社会保険料・新規負担の三重圧力の下で、実質の敗北を隠している。5.26%という数字は、30年間ほぼ横ばいだった日本の賃金が動き始めたことを意味する。それは確かに前進だ。しかし、その前進が労働者の生活実感に反映されるためには、価格転嫁の仕組み・社会保険料負担の設計・物価安定政策といった、賃上げを「手取り」に変換する回路が整備されなければならない。
『日本人の賃金を上げる唯一の方法』で原田泰が指摘するように、賃金停滞の本質は労働生産性の低さにある。春闘の名目賃上げだけでなく、生産性向上を通じた実質賃金の持続的上昇への転換が、次の政策課題となる。
関連コラム
- 「人手不足」なのになぜ給料は上がらないのか(前編:需給原理が機能しない労働市場の構造)
- 春闘5%超でもなぜ給料は増えた気がしないのか(名目賃上げ vs 実質賃金マイナスの構造)
- 給料が上がらない30年の構造(内部留保・非正規化・組合弱体化の歴史的メカニズム)
- 賃金が30年で増えた業種・減った業種(業種別の賃金格差)
関連ガイド
参考文献
2026春闘 第1回回答集計結果 — 日本労働組合総連合会(連合). JILPT
毎月勤労統計調査 2025年通年 — 実質賃金4年連続マイナス — 厚生労働省. 日本経済新聞
価格転嫁に関する実態調査(2025年7月) — 帝国データバンク. 帝国データバンク
2025年度 人手不足倒産の動向調査 — 東京商工リサーチ. 東京商工リサーチ


