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一般社団法人社会構想デザイン機構

最低賃金1,500円で中小企業の45%が賃金改定 -- 価格転嫁できない構造

ヨコタナオヤ
約9分で読めます

政府が掲げる最低賃金1,500円目標に対し、中小企業の45.1%がすでに最低賃金を理由に賃金を引き上げ、35.0%が収益を圧迫されている。価格転嫁率が50%にとどまる構造の中で、賃上げコストはどこに消えているのか。供給サイドから見た最低賃金政策の構造問題を分析する。

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ざっくり言うと

  1. 中小企業の45.1%が最低賃金を理由に賃金を引き上げたが、35.0%は「具体的な対応が取れず収益を圧迫」と回答
  2. 労務費の価格転嫁率は50.0%で、原材料費の55.0%を下回る。賃上げコストの半分は企業内に滞留している
  3. 最低賃金1,500円目標に対し中小企業の74.2%が「対応困難」、15.9%が廃業を検討。人件費高騰倒産は前年度比77.2%増の195件

何が起きているのか

2025年度の最低賃金が史上最高の66円引き上げで1,121円に到達。中小企業の45.1%が賃金改定を迫られ、35.0%が収益圧迫に直面している

2025年10月、全国の最低賃金が改定された。全国加重平均は1,121円となり、引き上げ額66円は目安制度が始まった1978年以来の最高額を記録した。初めて全都道府県で1,000円を超え、最高額の東京都は1,226円に達している。

この引き上げの背景にあるのが、政府が掲げる「2020年代に全国平均1,500円」という目標である。骨太方針2025ではこの数字が明記され、「中小企業・小規模事業者の賃金向上推進5か年計画」として集中的に取り組む方針が示された。

しかし、政策目標と企業の現実の間には大きな溝がある。

日本商工会議所と東京商工会議所の調査(3,780社回答)によれば、最低賃金を下回る従業員がいたため賃金を引き上げた企業は45.1%に上った。前年度の44.3%からさらに上昇し、ほぼ2社に1社が最低賃金の引き上げに直接的に対応を迫られている計算である。

問題は、この賃上げコストの行き先にある。人件費増への対応として 「具体的な対応が取れず、収益を圧迫」 と回答した企業は35.0%。一方、 「人件費増加分の価格転嫁(製品・サービスの値上げ)」 に成功した企業は31.0%にとどまる。

賃上げは起きている。だがそのコストを誰がどう負担しているのか。この構造を追う。

背景と文脈

骨太方針2025で1,500円目標が閣議決定される一方、価格転嫁率は50%台にとどまり、中小企業は「賃上げしたくてもできない」構造に置かれている

1,500円目標の数学的現実

現在の1,121円から1,500円に到達するには、 34.2%の引き上げ が必要である。2029年度までに達成するとすれば、残り4〜5回の改定で毎回約6.1%の引き上げを続けなければならない。2025年度の引き上げ率6.0%がほぼ上限ラインであり、この水準を5年間維持し続けることが数学的な最低条件となる。

902円
2020+1
930円
2021+28
961円
2022+31
1,004円
2023+43
1,055円
2024+51
1,121円
2025+66
1,500円
2029?+379 必要

1,121円 → 1,500円:残り34.2%の引き上げが必要。毎年約6.1%を5年間継続する計算になる

最低賃金の推移と1,500円目標への距離 -- 毎年6%超の引き上げが5年間必要

大和総研の試算では、骨太方針の目標達成には年7.3%ペースの引き上げが必要とされている。2025年度の6.0%をさらに上回る水準であり、支援策の具体性の乏しさを指摘する声は、与野党を問わず上がっている。

中小企業の現実を数字で見る

価格転嫁できない構造

政策目標

最低賃金1,500円(2020年代中)

中小企業への影響

45.1%が最低賃金を理由に賃金改定 / 76.6%が負担を感じている

価格転嫁の壁

労務費転嫁率50.0% / 35.0%は「対応できず収益圧迫」

帰結

人件費高騰倒産195件(前年度比+77.2%) / 廃業検討15.9%

転嫁を阻む4つの壁

1. 発注側の優位な力関係

2. 消費者市場の価格弾力性

3. 同業他社との競争圧力

4. 労務費は原材料費より転嫁困難

最低賃金引き上げコストが中小企業に滞留する構造 -- 労務費転嫁率50%が意味するもの

最低賃金の引き上げがもたらす影響は、企業規模と地域で大きく異なる。

地方企業の46.6%が最低賃金を理由に賃金を引き上げたのに対し、都市部は37.0%と9.6ポイントの差がある。収益圧迫の深刻さも同様で、地方・小規模企業(従業員20人以下)では42.9%が収益圧迫と回答しており、都市部の32.6%を10ポイント以上引き離している。

1,500円目標への対応見通しはさらに厳しい。「対応は不可能」と「対応は困難」を合わせた割合は74.2%に達する。地方・小規模企業では「対応は不可能」が25.1%(4社に1社)である。

業種別の負担感はさらに鮮明な格差を示している。

業種負担感(「大いに負担」+「多少は負担」)廃業検討率
運輸業90.2%-
宿泊・飲食業90.0%24.7%
医療・福祉・介護業85.9%30.3%
小売業85.5%-

医療・福祉・介護業で廃業検討率が最も高い30.3%という数字は、社会インフラを担う事業者が最低賃金引き上げの最前線にいることを意味する。介護報酬や診療報酬は公定価格であり、価格転嫁の選択肢そのものが制度的に制約されている。

価格転嫁の構造的な壁

なぜ中小企業は賃上げコストを価格に転嫁できないのか。中小企業庁の「価格交渉促進月間」フォローアップ調査(2025年9月実施)は、その構造の一端を示している。

全体の価格転嫁率は53.5%。コスト別に見ると、原材料費が55.0%である一方、 労務費は50.0% にとどまる。労務費転嫁が初めて50%に到達した点は改善ではあるが、コスト上昇の半分しか販売価格に反映されていないことを意味する。

転嫁を阻む構造的要因は4つに整理できる。

第一に、 発注側の優位な力関係 である。下請け構造の中で、価格交渉を申し入れた発注側は34.6%にとどまる。取引関係の維持を優先すれば、受注側が値上げを切り出すことは容易ではない。

第二に、 消費者市場の価格弾力性 である。飲食・小売は価格転嫁が客離れに直結する。「値上げすればお客さんが来なくなる」という認識は、中小の小売・飲食で特に強い。

第三に、 同業他社との競争圧力 である。自社だけが値上げすれば、競合に顧客を奪われるリスクがある。業界全体で一斉に転嫁する仕組みがなければ、個別企業の値上げは自殺行為になりかねない。

第四に、 労務費は原材料費より転嫁が難しい という構造的特性である。原材料費は市場相場の変動として理解されやすいが、労務費(人件費)の上昇は「企業の内部事情」と見なされがちで、取引先や消費者からの理解を得にくい。

倒産という現実

賃上げと価格転嫁の間に挟まれた中小企業の苦境は、倒産統計にも表れている。

帝国データバンクによれば、2025年度の人手不足倒産は441件で、前年度の350件から26%増加し、年度ベースで初めて400件を超えた。3年連続で過去最多を更新している。

業種別では建設業が112件(全体の25.4%)で最多、次いで道路貨物運送業55件、老人福祉事業22件、飲食店21件と続く。いずれも労働集約型であり、人手不足と賃上げ圧力の直撃を受けている業種である。

東京商工リサーチの集計はさらに踏み込んでいる。2025年度の人手不足倒産442件のうち、 人件費高騰を主因とする倒産は195件(前年度比77.2%増) に急増した。人手不足倒産の約44%が「人を雇えなかった」のではなく「賃金を上げた結果、採算が合わなくなった」ことが原因であることを示唆している。

地域格差という不均衡

最低賃金は全国一律ではない。最高の東京都1,226円と最低の高知・宮崎・沖縄1,023円の間には 203円の格差 がある。年間労働2,000時間で換算すれば、約40万6,000円の年収差に相当する。

2025年度の改定では、Cランク(地方圏)の引き上げ目安額64円がAランク(大都市圏)の63円を初めて上回り、39道府県が目安を超える引き上げを実施した。格差は縮小方向にあるが、地方企業ほど賃上げの原資が乏しいという構造的な矛盾は解消されていない。

日弁連は2025年・2026年に「地域間格差の是正を求める会長声明」を発出し、全国一律最低賃金の検討を求めている。地域間格差が若年層の都市流出を加速させ、地方のをさらに深刻化させるという悪循環が指摘されている。

構造を読む

韓国の急激引き上げの教訓とOECDのKaitz指数が示すのは、スピードと支援策のバランスこそが分岐点だということである

国際比較が映す日本の位置

最低賃金の水準を国際比較するための指標に、Kaitz指数(最低賃金の中央値賃金に対する比率)がある。OECDのデータによれば、日本のKaitz指数は47%で、OECD平均の57%を10ポイント下回り、30カ国中下位5位にとどまる。

1,500円が達成された場合、日本のKaitz指数は推定60〜65%にまで上昇し、OECD平均を超える水準に達する。つまり、1,500円目標は「国際的に見て異常に低い最低賃金を是正する」という政策的な合理性を持っている。問題は、そこに至るプロセスの設計にある。

韓国の急激引き上げが残した教訓

最低賃金の急激な引き上げがもたらす副作用について、韓国は痛みを伴う実験を経験している。

JILPT日本労働研究雑誌の分析によれば、文在寅政権下で2018年に+16.4%、2019年に+10.9%と2年連続で大幅な引き上げが実施された。2年間で約30%の引き上げである。

その結果、卸小売・宿泊飲食・施設管理の3業種で 29万人の雇用が消失 した。韓国経済研究院は4年間で 47万人以上 の雇用消失と試算している。特に零細企業・小規模事業者で打撃が大きく、文大統領は公約の達成を断念し国民に謝罪する事態に至った。

日本の1,500円目標は、年6%程度の段階的引き上げを想定しており、韓国のような一気呵成の引き上げとは異なる。しかし、5年間にわたって毎年6%超を継続するという累積的な負担は、中小企業にとって韓国と同質の構造問題を生じさせる可能性がある。韓国の教訓が示すのは、 引き上げの「スピード」と「支援策の実効性」のバランスこそが分岐点 だということである。

賃上げを社会全体で分担する仕組みへ

最低賃金の引き上げは、低賃金労働者の処遇改善のために必要な政策である。(買い手独占)的な労働市場では、最低賃金の適切な引き上げが雇用を減らさずに賃金を上げる効果を持つことが経済学的に示されている。

しかし、現状の日本では、賃上げコストの過半が中小企業の利益圧迫として吸収され、社会全体への分配に至っていない。の低下と価格転嫁率の低迷は、「誰かが引き受けるべきコストを、構造的に弱い立場の企業が一方的に負っている」ことを示している。

価格転嫁支援策の実効性を高めること、公定価格セクター(介護・医療)の報酬体系を賃上げと連動させること、省力化投資への実質的な支援を行うこと。これらの「賃上げを支える仕組み」の整備なしに、数字だけを引き上げれば、韓国と同じ轍を踏むリスクがある。

『賃金とは何か』濱口桂一郎が150年の賃金制度史を通じて指摘するのは、日本の賃金は「仕事の値段」ではなく「人の属性(年齢・勤続・所属)の値段」として発展してきたという事実である。最低賃金政策がこの構造のどこに介入しようとしているのかを見極めなければ、引き上げの数字だけが先行し、構造は変わらないままに終わる。


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参考書籍


参考文献

中小企業における最低賃金の影響に関する調査日本商工会議所・東京商工会議所. JILPT ビジネス・レーバー・トレンド 2026年5月号

中小企業における最低賃金の影響に関する調査(2025年3月公表)日本商工会議所. 日本商工会議所

価格交渉促進月間(2025年9月)フォローアップ調査経済産業省. 経済産業省

人手不足倒産の動向調査(2025年度)帝国データバンク. 帝国データバンク

2025年度の「人手不足」倒産 過去最多の442件東京商工リサーチ. 東京商工リサーチ

韓国における最低賃金の引き上げをめぐる議論と課題JILPT 日本労働研究雑誌. 日本労働研究雑誌 2024年10月号

読んだ後に考えてみよう

  1. あなたが利用するサービスや商品の価格に、従業員の賃上げ分はどの程度反映されていると思うか。
  2. 最低賃金の引き上げペースを「企業が耐えられる速度」に合わせるべきか、それとも「労働者が生活できる水準」を優先すべきか。
  3. 地域間の最低賃金格差(最大203円)は、縮小すべきか、それとも地域の経済実態に合わせて維持すべきか。

この記事の用語

モノプソニー(買い手独占)
労働市場において買い手(雇用主)が支配的な力を持ち、労働者の賃金が競争的水準より低く抑えられる状態。地方の単一産業都市や、特定の資格が必要な職種で顕著に表れる。
人手不足倒産
従業員の離職や採用難、人件費高騰を主因として事業継続が困難になり倒産に至るケース。帝国データバンクの調査では2025年度に441件と過去最多を記録し、従業員10人未満の小規模企業が約75%を占める。
労働分配率
企業が生み出した付加価値のうち、人件費(賃金・賞与・社会保険料の事業主負担分)に分配された割合。低下は企業利益の増大と勤労者への還元の停滞を意味し、法人税収の増加と賃金停滞が並存する構造を説明する指標のひとつ。

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