ざっくり言うと
- 人手不足倒産は2025年(暦年)に427件と過去最多を記録する一方、労働分配率は53.9%と51年ぶり低水準
- 企業の「人手不足」の実態は「提示できる賃金水準で働く人がいない」という構造的ミスマッチ
- 補助金依存・労働移動コスト・AI代替の3要因が需給原理に基づく賃金上昇を構造的に阻害している
何が起きているのか
人手不足倒産が過去最多を更新する一方で、賃金は上がらず求職者も存在する矛盾
「人手不足」という言葉が日本経済の定型句になって久しい。有効求人倍率は1.25倍と、1人の求職者に対して1.25件の求人がある計算だ。人口減少と高齢化が進む中、労働力の「量」が不足しているという説明は直感的に理解しやすい。
だが同じ労働市場で、奇妙な現象が並存している。
人手不足倒産は2025年(暦年)に427件と3年連続で過去最多を更新した。従業員10人未満の小規模企業が約77%を占め、建設業と物流業に集中している。人を雇えないから会社が潰れる。人手不足は深刻な経営問題だ。
一方で、ハローワークの有効求職者数は約176万人にのぼる。仕事を探している人は大勢いる。そして労働分配率は53.9%と1973年度以来51年ぶりの低水準を記録し、企業の利益が賃金に回っていないことを示している。
人手が足りないのなら、経済学の教科書どおり賃金は上がるはずだ。売り手市場なら労働者の待遇は改善されるはずだ。しかし現実はそうなっていない。需給原理はなぜ機能しないのか。
背景と文脈
「人手不足」の実態は安い労働力の不足であり、補助金構造がそれを維持している
「人手不足」の二つの意味
「人手不足」という言葉は、二つの異なる現象を一つの言葉で覆い隠している。
第一の意味は、特定の賃金水準で働く人材がいないこと。介護、建設、飲食の現場で「人が集まらない」と言われるとき、その多くは「提示できる賃金水準では応募がない」という状況を指す。賃金を大幅に引き上げれば応募は増えるが、利益構造がそれを許さない。
第二の意味は、生産年齢人口そのものの減少だ。日本の生産年齢人口(15〜64歳)は1995年の8,726万人をピークに減少を続けており、2025年には約7,400万人まで減った。これは物理的な人口減少であり、賃金を上げても解決しない。
問題は、政策やメディアの議論がこの二つを区別せず、一括りに「人手不足」と呼んでいることだ。前者は賃金と利益構造の問題であり、後者は人口動態の問題である。処方箋は根本的に異なる。
補助金が低賃金を維持する構造
企業が言う「人手不足」
「安い賃金で働く人」がいない
補助金前提の収益構造
価格転嫁できない業種
労働者が体験する現実
求人はあるが条件が悪い
ハローワーク求職者176万人
「選ばなければ仕事はある」
構造的帰結
人手不足倒産 441件(過去最多)
労働分配率 53.9%(51年ぶり低水準)
AI代替で「不足」の質が変容
「人手不足」は「安い労働力の不足」を意味しており、需給原理に基づく賃金上昇は構造的に阻害されている
なぜ企業は賃金を上げないのか。上げられないのか、上げたくないのか。
一つの答えは、補助金が低賃金構造を維持しやすい環境を作り出している可能性にある。雇用調整助成金、キャリアアップ助成金、特定求職者雇用開発助成金などの制度は、本来は雇用維持や人材育成を目的としている。しかしその副作用として、低賃金でも事業を継続できる構造が生まれ、賃金上昇圧力を緩和している側面が指摘されている(補助金の賃金抑制効果については政策評価上の議論があり、産業・規模によって影響は異なる)。
補助金で人件費を補填し、低い基本給で募集
条件が悪く求職者が集まらない → 「人手不足」と発表
人手不足を根拠に雇用助成金・補助金を申請
補助金で収益を確保し、賃上げ圧力を回避
補助金で人件費の一部を補填できるなら、企業は賃金を引き上げずに事業を維持できる。求職者が集まらなければ「人手不足」を根拠にさらなる支援を要請する。この循環の中で、賃金上昇圧力は構造的に緩和される。
中小企業にとってこの構造は切実だ。2026年春闘では「6%以上」の賃上げを実施した中小企業は全体の7.2%にとどまった。大企業が5%超の賃上げを達成する一方で、中小企業には「賃上げ疲れ」が広がっている。価格転嫁が困難な下請け構造の中で、補助金なしには賃上げの原資がない。しかし補助金は、賃上げしなくても事業を維持できる安全弁としても機能する。
経営トップ6割「AIで人手不足を代替」
「人手不足」の意味をさらに複雑にしているのが、AI技術の進展だ。経営トップの6割が「AIで人手不足を代替する」と回答している。
この回答が意味するものは重い。もし人手不足が「物理的に人がいない」ことを意味するなら、AIによる代替は合理的な解だ。しかし「安い賃金で働く人がいない」ことを意味するなら、AIは「賃金を上げずに済む手段」として機能する。
AI関連職種の年収は日本平均を25〜71%上回り、求人倍率はIT・通信分野で3.35倍に達している。AIを使いこなせる人材は高待遇で奪い合いになっている一方、AIに代替される中程度スキルの業務は賃金上昇圧力を失う。「人手不足」は解消されないまま、その「質」だけが変わっていく。
構造を読む
モノプソニー・労働移動コスト・AI代替が需給原理を無効化する構造
なぜ需給原理が機能しないのか
通常の財市場では、供給が不足すれば価格が上がる。労働市場でも同じはずだ。しかし日本の労働市場には、需給原理を機能させない構造的な障壁が複数存在する。
第一に、モノプソニー(買い手独占)の問題がある。 地方の特定産業では、雇用主の選択肢が極めて限られる。介護施設、建設会社、農業法人が地域の主要な雇用主である場合、労働者は「この条件で働くか、地域を出るか」の二択を迫られる。競争的な賃金形成が成り立たない。玄田有史編の『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』でも、この「買い手独占」構造が詳細に分析されている。
第二に、労働移動コストの高さがある。 日本では地域間・職種間・雇用形態間の移動コストが高い。持ち家率が高く地理的移動が困難であること、職種転換に必要なスキル再取得の支援が薄いこと、正規から非正規への移動は容易だがその逆は難しいこと。これらの障壁が「人手不足の企業」と「仕事を探している人」の間のマッチングを阻害している。
第三に、労働組合の弱体化がある。 労働組合の推定組織率は16.1%と過去最低水準にある。労働者の約84%は組合に所属しておらず、集団的な賃上げ交渉の枠組みの外にいる。個人で賃上げを交渉できる労働者は限られており、結果として企業側の賃金設定力が圧倒的に強い。
人手不足倒産は何を意味するか
人手不足倒産の増加をどう読むかは、立場によって異なる。
一つの見方は「市場の正常化」だ。低賃金でしか事業を維持できない企業が退場することは、限られた労働力がより生産性の高い企業に移動するプロセスの一部である。長期的には賃金水準の底上げにつながる可能性がある。
もう一つの見方は「地域経済の危機」だ。地方の建設業者や介護事業者が廃業すれば、その地域のインフラ維持や高齢者ケアに直接影響する。代替の事業者が現れる保証はない。
どちらの見方にも合理性がある。しかし重要なのは、人手不足倒産が増えていること自体が、「賃金を上げて人を集める」という需給原理が十分に機能していないことの証左だということだ。市場メカニズムが正常に作動するなら、企業は倒産する前に賃金を上げて人材を確保する。それができない——つまり価格転嫁ができない、補助金に依存している、利益率が賃上げに耐えない——構造そのものが問題の核心にある。
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関連ガイド
参考文献
人手不足倒産の動向調査(2025年) — 帝国データバンク. 帝国データバンク
利益増えても賃金に回らず — 24年度の労働分配率、51年ぶり低水準 — 日本経済新聞. 日本経済新聞
AIで人手不足代替、経営トップ6割 — 日本経済新聞. 日本経済新聞
春闘賃上げ率前年並みか、中小の「賃上げ疲れ」に要警戒 — ダイヤモンド・オンライン. Diamond Online
