一般社団法人社会構想デザイン機構
論考・インサイト

生活保護「捕捉率」20% — 日本の安全網の見えない漏れ

生活保護を受ける権利があるのに、実際に利用しているのは推計20%程度。残り80%が制度に届いていない背景には、心理的・手続き的・情報的な3つの障壁がある。ドイツ64%、英国57%と比較したとき、日本の構造的問題が浮かび上がる。

ISVD編集部

何が起きているのか

2024年3月、生活保護の被保護世帯数は約167万世帯に達した(厚生労働省)。コロナ禍以降の物価上昇、高齢者世帯の増加が背景にある。

しかし、この数字には別の見方がある。「167万世帯が保護を受けている」ことより、「保護を受ける権利があるのに受けていない世帯」がはるかに多い、という事実だ。

生活保護の「捕捉率(Take-up rate)」——保護を受ける要件を満たしているにもかかわらず実際に受給している人の割合——は、研究者の推計によると15〜20%程度とされる(山田篤裕ら, 2015年)。 理論的に保護を受けられる状態にある人の約80%が、実際には制度を利用できていない。

米国(SNAP・食料支援)82%
ドイツ(Grundsicherung)64%
英国(Pension Credit)62%
フランス(RSA)50%
日本(生活保護)20%
日本の捕捉率は推計15〜20%。制度を利用できる状態にある人の約80%が実際には保護を受けていない。
公的扶助の捕捉率(Take-up rate)国際比較 — 各国政府・研究者推計値(2015〜2023年)

国際比較をすると、その異例さが際立つ。ドイツの就労能力のない人向け生活保護(Grundsicherung)の捕捉率は64%、英国のPension Creditは60〜65%前後とされる(UK DWP 推計)。米国の食料支援プログラムSNAPの捕捉率は82%という推計がある。日本の15〜20%という数値は、先進国の中で突出して低い。

背景と文脈

「水際作戦」という慣行

申請率を下げる要因として、福祉行政の「水際作戦」と呼ばれる慣行がある。窓口に来た申請希望者に対し、「あなたは受給要件を満たさない」「まず親族に頼れ」「就職活動を続けろ」などと口頭で伝え、申請書を渡さない、または申請意思を翻意させる——法的義務のある申請受理を実質的に阻止する行為だ。

厚生労働省は2014年に「申請権の侵害となりうる行為をしないよう」通達を出し、2023年には申請書の常備・交付の徹底を再通知した。しかし現場での慣行は完全には改善されておらず、NPOが「同行支援」によって申請を補助するという実態が今も続いている。

扶養照会という心理的壁

申請を困難にしているもう一つの要因が「扶養照会」だ。生活保護申請があった際、福祉事務所は申請者の扶養義務者(三親等以内の親族)に対して扶養できるかどうかを照会する仕組みがある。

「親族に知られたくない」「申し訳ない」「恥ずかしい」——扶養照会の存在が申請を思いとどまらせる。扶養照会は法的な義務ではなく、福祉事務所の「努力義務」にとどまる(最高裁判例)。2021年以降、虐待・DV歴がある場合や生活保護に関連した理由での疎遠がある場合は照会を省略できるよう通知が変わった。しかし制度としての照会は維持されており、申請者の心理的障壁は依然として高い。

「自己責任」という社会規範

PSYCHOLOGICAL
心理的障壁
  • スティグマ(「恥」「迷惑をかける」)
  • 家族への扶養照会の存在
  • 「自己責任」という社会規範
PROCEDURAL
手続き的障壁
  • 窓口での申請阻止(水際作戦)
  • 複雑な書類・資産調査
  • 審査期間の長期化
INFORMATIONAL
情報的障壁
  • 制度の存在を「知らない」
  • 申請可否が自分で判断できない
  • 相談窓口へのアクセス困難

3つの障壁は独立して存在するのではなく、相互に強化しあう複合的な構造を形成している。

生活保護 申請を阻む3つの障壁 — ISVD構造分析(各種先行研究より)

捕捉率の低さは制度設計の問題だけではない。「生活保護はできるだけ使わないべき」「困ったら家族や地域に頼るべき」という社会規範が、申請そのものを抑制している。

「生活保護を利用することに抵抗を感じる」という感覚は、「利用者が財政を圧迫している」「不正受給が多い」という誤解とも結びつきやすい。実際には不正受給率は0.5%程度(厚生労働省, 2023年)にすぎない。数字と社会認識の乖離が、申請者の心理的コストをさらに高める。

構造を読む

生活保護の捕捉率は、制度の「穴」ではなく、制度が機能している「仕組み」の反映だという見方がある。

申請を抑制することで財政支出を抑える。扶養照会で家族の役割を最大化する。「恥の文化」を暗黙のコスト抑制資源として機能させる——これらは意図的に設計されたとは言えないが、結果として申請抑制の構造として機能している。

その代償は、制度の外に取り残された人々の存在だ。アウトリーチのないNPOに支えられた生活、緊急小口資金を繰り返し借りる状態、「恥ずかしくて申請できない」まま体調を崩す中高年——制度の「外側」にいる人々が、捕捉率の裏面として存在する。

生活保護法の第1条は「最低限度の生活を保障し、その自立を助長することを目的とする」と定めている。捕捉率20%という数字は、この法の目的がどれほど実現されているかを問い直すためのレンズになる。「制度がある」ことと「制度が届いている」ことは、同じではない。


参考文献

被保護者調査(令和6年3月分概数)

厚生労働省. 厚生労働省

原文を読む

生活保護の捕捉率に関する研究

山田篤裕 他. 慶應義塾大学

原文を読む

生活保護の申請権の侵害防止等について(通知)

厚生労働省 社会・援護局保護課. 厚生労働省

原文を読む

不正受給の状況について

厚生労働省. 厚生労働省

原文を読む

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