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一般社団法人社会構想デザイン機構

デジタル教科書「正式化」後の現実 : 3形態選択制が固定化する地域格差

ヨコタナオヤ
約14分で読めます

2026年4月7日、政府は学校教育法等の改正法案を閣議決定し、デジタル教科書を正式な教科書に位置づける道筋をつけた。施行は2027年4月、小学校での本格適用は2030年度。だがその約1.5ヶ月後の現場では、紙のみ・紙+デジタル併用・デジタルのみという3形態選択制が地域格差を固定化させる構造が見え始めている。高校の整備率は11.5%で小中の99.8%と圧倒的な差があり、教員のICT活用指導力研修受講率は岐阜95.8%・群馬58.8%と37ポイントの開きがある。海外では韓国のAIDTが導入わずか1学期で「教科書」から「教育資料」に格下げされ、世宗市の中高生接続率は0.3-0.5%という数字を残した。日本の正式化は出発点であって、移行期4年間の設計次第で同じ轍を踏むリスクがある。

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ざっくり言うと

  1. 2026年4月7日に閣議決定された学校教育法等改正法案はデジタル教科書を正式教科書化するが、3形態選択制の前提となる教員ICT指導力・自治体財政力・端末整備状況がすでに地域格差であり、選択結果が格差を固定化する構造を抱えている
  2. 韓国のAIDTは2025年3月導入から5ヶ月で「教科書」から「教育資料」に格下げされ世宗市の中高生接続率は0.3-0.5%にとどまった。スウェーデンの「紙回帰」は教科書定義の脆弱性とスマホスクリーンタイム問題が本質で、単純な「デジタル失敗」言説とは異なる
  3. 文部科学省の実証研究は使用実態の把握が中心でRCTによる学力向上の因果効果検証は公表されていない。エビデンス空白のまま2027年施行・2030年小学校適用に進めば、移行期4年間の格差固定化と教育投資のリスクが同時に進行する

何が起きているのか

2026年4月7日閣議決定でデジタル教科書が正式化。施行2027年・小学校適用2030年度。高校整備率11.5%対小中99.8%の格差がすでに露呈している

2026年4月7日、政府は 等の一部を改正する法律案を閣議決定した。日本経済新聞 によれば、この改正は を紙の教科書と並ぶ正式な教科書として位置づけるもので、施行は2027年4月、小学校での教科書としての本格適用は2030年度から始まる予定である。改正法案は同時に、各教育委員会が「紙のみ」「紙+デジタル併用」「デジタルのみ」の3形態から選択できる仕組みを採用した。松本文部科学相は記者会見で「一律導入はしない」「小学校4年生以下は現時点で認めない」と慎重な姿勢を示している。

閣議決定の見出しは「正式教科書化」だが、本記事はあえて施行前の移行期に焦点を合わせる。閣議決定から約1.5ヶ月が経過した2026年5月時点で、現場ではすでに3形態のどれを選ぶかという準備が動き出しており、その選択を縛る構造的な前提条件が露わになってきているからである。

最初に押さえるべきは、学校種ごとの整備格差である。文部科学省「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」 の令和5年度集計(2024年3月1日時点)によれば、学習者用デジタル教科書の整備率は小学校 99.8%、中学校 99.8% に対し、高等学校はわずか 11.5%、特別支援学校 37.8%、全体平均 88.2% である。義務教育段階は による1人1台端末整備とあわせてデジタル教科書のインフラがほぼ完備しているのに対し、高校では9割近くの学校が整備していない。3形態選択制を導入しても、高校段階では「デジタルのみ」も「紙+デジタル併用」も選びようがない学校が大半で、実質的に「紙のみ選択」を強いる構造になる。

都道府県間の格差も無視できない。文部科学省「デジタル教科書をめぐる状況について」(2024年9月版)の調査では、過去に学習者用デジタル教科書の普及率に都道府県間で最大2.5倍の差が記録されている。最高は和歌山県、最低は愛知県であり、財政力指数や教育委員会の方針が直接反映される構造になっている。教科別の使用頻度にもばらつきがあり、文部科学省の 学習者用デジタル教科書の効果・影響等に関する実証研究事業 の大規模アンケートによれば、デジタル教科書を提供している小中学校の教師のうち 6割以上が「4回に1回程度以上」授業で使用 と回答する一方、約4割は週1回未満の使用にとどまっている。整備されていても授業実装の濃度には大きな開きがある。

つまり閣議決定の時点で、デジタル教科書の整備状況・使用実態・教員研修体制はすでに地域差・学校種差を抱えており、3形態選択制はその差を制度として追認・固定化する装置として機能する可能性がある。本記事はこの問いを「移行期4年間の現実」として整理する。

背景と文脈

韓国AIDTは5ヶ月で格下げ・世宗市接続率0.3-0.5%。岐阜95.8%対群馬58.8%の37ポイント差。スウェーデン紙回帰は教科書定義の脆弱性が本質

韓国 AIDT の1学期撤退 — 教科書化の決定的失敗例

3形態選択制を評価する上で最も直近かつ決定的な海外事例は、韓国の である。2025年3月、韓国は世界に先駆けてAIデジタル教科書を英語・数学・情報の3教科に本格導入した。対象は小学校3・4年生、中学校1年生、高校1年生で、教育部(日本の文部科学省に相当)は「世界初のAIデジタル教科書」と意気込んだ。

ところが導入直後から異変が起きる。教育新聞 の報道によれば、導入2ヶ月後の使用率は1日あたり接続率10%未満で推移し、大邱市の最大接続率は 11%、世宗市の中高生に至っては 0.3%・0.5% という壊滅的な数字が記録された。教師は紙の補助教材に戻り、生徒はAIDTを開かない。整備したインフラが現場で使われない事態が広がった。

事態は2025年8月に決着する。AFPBB によれば、2025年8月4日、韓国国会は初等・中等教育法の改正案を可決し、AIDTを「教科書」から「教育資料」に格下げした。教科書として導入されたデジタル教材が、わずか1学期(5ヶ月)で正式教科書の地位を失った例は世界的にも前例がない。導入時点では「世界初」と称えられた制度が、国会の法改正で格下げに追い込まれた事実は、教科書化のリスクの大きさを示している。

韓国AIDT:正式導入から5ヶ月で「教科書」地位を失う
日本の閣議決定より半年先行した韓国が直面した現実
2025年3月正式導入
全国の小学校・中学校でAIDT(AIデジタル教科書)を正式科目として導入。算数・英語・情報の3教科で開始
2025年4〜7月接続障害が常態化
世宗市の小中学校でAIDTへの実際の接続率が0.3〜0.5%に低迷。授業内での実使用はほぼゼロに
2025年8月4日「教科書」→「教育資料」に格下げ
韓国教育部が正式発表。AIデジタル教科書の法的地位を「教科書」から「教育資料」へ変更。必修性・予算優先度が大幅低下
世宗市の実接続率
0.3〜0.5%
(導入後4〜7ヶ月の実績値)
想定利用率との乖離
99.5〜99.7%未達
「正式化」は使われることを保証しない
韓国の事例は、法制化・閣議決定・正式導入のいずれも実際の教室での利用率を担保しないことを示す。インフラ・教員スキル・コンテンツ品質の三重障壁を超えなければ、デジタル教科書は「教育資料」として棚に並ぶだけになる
出典: 韓国教育部「AI디지털교과서 추진 현황」(2025年8月4日)、朝日新聞「韓国、AIデジタル教科書を事実上降格」(2025年8月)
韓国AIデジタル教科書(AIDT)の後退タイムライン:2025年3月正式導入→世宗市接続率0.3〜0.5%→2025年8月4日「教科書」から「教育資料」に格下げ

韓国の失敗が示すのは、制度先行のまま現場の実装条件(教員研修・端末安定性・学習体験設計)が整わなければ、教科書化は逆効果になるということである。日本が「3形態選択制」というクッションを設けた背景にこの韓国事例があるのは確実で、松本文科相の「一律導入はしない」という発言もこの教訓を踏まえたものと読める。だが選択制を採用しても、選択の前提となる条件が地域格差として存在する以上、別の形で同じ問題が再生産される可能性は残る。

教員ICT指導力 — 37ポイントの研修受講率格差

3形態選択制が地域格差を固定化する経路を最も明瞭に示すのが、教員のICT活用指導力に関する地域差である。文部科学省の 令和5年度学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果 によれば、全国平均では教材研究・準備・評価・校務にICTを活用できる教員 90.7%、授業にICTを活用して指導できる教員 82.2%、児童生徒のICT活用を指導できる教員 83.1% と、項目によって差はあるが全体としては平均8割台である。

数値だけ見れば「概ね対応できている」印象だが、注目すべきは平均の裏にある分散である。同調査における2024年度ICT活用指導力研修受講教員割合は全国平均 71.9% だが、最高の岐阜県は 95.8%、最低の群馬県は 58.8% で、その差は37.0ポイントに及ぶ。教員研修制度は教育委員会の予算・人員・優先順位によって運営されるため、財政力と教育行政の方針が直接受講率に反映される。

3形態選択制のもとで自然に予想されるのは、研修受講率の高い自治体ほど「紙+デジタル併用」または「デジタルのみ」を選びやすく、研修受講率の低い自治体ほど「紙のみ」を選ばざるを得ない傾向である。教員がデジタル教科書を授業で使いこなせなければ、整備しても活用されない韓国型の「整備したが使われない」リスクが顕在化するため、自治体は安全策として紙のみを選ぶ判断に傾く。逆に研修体制が整った自治体は、デジタル教科書のメリットを最大限に引き出す方向に進める。結果として、義務教育という同じ制度のもとで、児童生徒の学習体験が地域によって構造的に異なる事態が固定化される。

スウェーデンの「紙回帰」— 言説と実態のずれ

韓国と並んでよく引かれる海外事例がスウェーデンの「紙回帰」である。だがこの事例は、よく語られる「デジタルが学力低下を招いたから紙に戻した」という言説と、実際の政策意図にはずれがある。

日経BP および JETRO の整理によれば、スウェーデンが2023年8月に紙の教科書を使った授業に方向転換した背景は二点ある。第一は、スウェーデンには元々「教科書の明確な定義」がなく、出版社が自由にデジタル教材を流通させていたため、教科書としての質保証が脆弱だったこと。第二は、児童生徒のスマートフォンやタブレットでのスクリーンタイムが長時間化し、読書時間の減少と学力低下が同時に進行していたことである。政策の主眼は「補助金を出して平等に教科書(紙)を提供する」「スクリーンタイムを抑制し読書時間を増やす」の二点で、デジタル教材そのものを否定したわけではない。

日本のデジタル教科書は によって質保証されている点で、スウェーデンと出発点が異なる。検定なき自由市場のデジタル教材と、検定済みのデジタル教科書を同列に論じるのは政策論として不正確である。とはいえ「スクリーンタイム過多」のリスクは日本にも共通する論点で、3形態選択制の議論ではこちらが本質的な課題になる。スウェーデンを「紙回帰=デジタル失敗」と単純化する報道は、この本質を見えにくくするため注意が必要だ。

書籍では 新井紀子 による 『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、2018年)が、デジタル化以前の段階で日本の児童生徒の読解力に既に深刻な課題があることを示しており、デジタル教科書を「読解力の救世主」と期待する言説への重要な反証として読める。

文科省実証研究の到達点と空白

ここで日本の 不在の問題を整理しておく。文部科学省の 学習者用デジタル教科書の効果・影響等に関する実証研究 は、令和元年度から令和3年度にかけて小学校5年生から中学校3年生を対象に英語等で実施された。2024年度には大規模アンケート調査も追加されている。

ただしこれらの研究は、研究デザイン上「使用実態の把握」「教師・児童生徒の受け止めの調査」が中心で、デジタル教科書を使った群と使わない群を厳密に比較して学力への因果効果を検証したRCTは公表されていない。関連する間接データとして、OECD PISA 2022 でICTデバイスを学習に使う生徒の方が使わない生徒より平均得点が高いという相関は示されているが、これはICT環境全般と学力の関係であって、デジタル教科書単体の因果効果ではない。

つまり「デジタル教科書を導入すれば学力が上がる」という主張は、現時点で日本の実証エビデンスに支えられていない。3形態選択制のもとで「デジタルのみ」を選ぶ自治体と「紙のみ」を選ぶ自治体の児童生徒の学力にどの程度の差が生まれるかは、移行期4年間が初めての大規模自然実験になる可能性がある。エビデンス空白のまま正式化を進めるリスクは、この点に集約される。

構造を読む

3形態選択制の前提となる教員ICT力・財政力・端末整備自体が地域格差であり、格差を固定化する罠を抱える。エビデンス空白のまま2030年適用に進む現状が問題である

3形態選択制が地域格差を固定化する三層メカニズム

ここまで見てきた学校種格差・自治体間格差・教員研修格差は、それぞれ独立した問題ではなく、3形態選択制という制度設計を通じて連動して格差を固定化する三層構造を作り出す。

第一層は学校種格差である。高校整備率11.5%対小中99.8%という前提のもとで、3形態選択制は高校では実質「紙のみ」しか選べない学校を量産する。小中で「紙+デジタル併用」または「デジタルのみ」の環境で育った児童生徒が、高校進学とともに「紙のみ」に逆戻りする経路が標準シナリオになる。学習体験の連続性が学校段階で切断される構造である。

第二層は自治体間格差である。都道府県間で最大2.5倍の普及率差、研修受講率で37ポイント差を抱えた状態で3形態選択を行えば、財政力指数の高い自治体・教員研修体制が整った自治体ほどデジタル寄りの選択を、低い自治体ほど紙のみを選ぶ二極化が進む。自治体間格差は児童生徒の学習機会格差として直接現れる。

第三層は教員個人格差である。授業でICT活用できる教員が全国平均82.2%ということは、裏返せば残りの17.8%が活用困難という意味である。同じ自治体・同じ学校内でも、担当教員によってデジタル教科書の活用度が変わる。3形態選択制が自治体単位で運用される場合、選択結果と現場実装のあいだに第三のずれが生じる。

3択制度が「地域格差の固定装置」になる構造
選択肢の存在が、資源格差をそのまま教育格差に変換する
デジタル教科書整備率(2024年度)
小・中学校99.8%
ほぼ全国整備済み
高等学校11.5%
整備格差88.3ポイント
教員研修完了率(都道府県別格差)
岐阜県95.8%
最高水準
群馬県58.8%
最低水準
最大格差: 37ポイント
3択制度が格差を固定化するメカニズム
紙・デジタル・併用の3択は「自治体・学校の判断に委ねる」ことを意味する
富裕自治体・大規模校はデジタル環境を整備できる。過疎自治体・少規模校は整備困難
教員研修格差(岐阜95.8% vs 群馬58.8%)が選択結果を左右する
3択の選択結果が地域の社会経済格差とほぼ一致する構造になる
3択制度は「多様性の尊重」ではなく「資源格差の容認」として機能する
選択の自由は、選択を支えるインフラ・人材・予算が均等に分配されて初めて「自由」になる。現状では、デジタル教科書の3択制度は既存の地域格差をそのまま学習機会の格差に変換するトランスミッションベルトとして機能している
出典: 文部科学省「学校における教育の情報化の実態等に関する調査結果」(2024年度)、e-Stat statsId=0003457195
デジタル教科書3択制度が生む格差:高校11.5% vs 小中99.8%の整備率格差、教員研修率 岐阜95.8% vs 群馬58.8%(37ポイント差)

これら三層は単独でも問題だが、組み合わさることで影響が増幅する。低財政力・低研修受講率の自治体が「紙のみ」を選び、その自治体の高校もまた整備率の低さから紙のみで運営され、現場の教員はICT活用研修を受けていない、という最悪のシナリオが地域単位で完結する。逆に、高財政力・高研修受講率の自治体は三層すべてでデジタル化が進み、児童生徒は小学校から高校までデジタル教科書環境で学ぶ。同じ義務教育・同じ高校教育を受けたはずの児童生徒のあいだに、学習体験の質的な違いが構造的に生まれる。

「選択制」という名の責任分散

3形態選択制は「地域実情への配慮」「自治体の自由裁量」として説明される。だが制度設計の観点から見ると、これは国が一律導入の責任を負わずに、選択の結果を自治体に転嫁する責任分散の仕組みでもある。

国の立場からすれば、韓国AIDTのように一律導入で失敗するリスクを避けられる。自治体は自らの判断で選んだのだから、結果は自治体の責任になる。だが自治体の立場からすれば、選択の前提条件(教員ICT力・財政力・端末整備)を整える権限と財源は限られており、構造的に「紙のみ選択を強いられる」自治体が出現する。児童生徒の側から見れば、生まれた地域によって学習体験が決まる構造が固定化される。

選択制の本来の意義は、地域の特色や子どもの個性に応じた柔軟な対応を可能にすることである。しかし「選択する余地」が前提条件によって既に縛られている場合、選択制は格差の追認装置に変質する。改正法案の3形態選択制が、この変質をどこまで自覚し、補完策を組み込んでいるかが問われる。

費用負担の非対称性 — 教科限定の国庫負担

費用負担の構造もまた、地域格差の固定化を加速する。文部科学省「デジタル教科書をめぐる状況について」(令和7年4月版) によれば、現行制度ではデジタル教科書の費用負担は教科によって大きく異なる。小学校5年生から中学校3年生の英語は国庫負担100%、同じく算数・数学は国庫負担50%、それ以外の教科は自治体負担となっている。ブリタニカ・ジャパン の整理では、学習者用デジタル教科書の単価は教科・出版社により200円から2,000円/人・教科(10教科で2,000円から20,000円/人)、指導者用デジタル教科書は70,000円から90,000円/学年・教科のレンジである。

改正法案では「紙の教科書と同じ無償配布の対象」とする方針が示されているが、具体的な国庫負担の範囲・割合は施行に向けて詰められる。2027年4月施行までの移行期は、国庫負担対象外の教科で自治体財政力格差が直接導入率に反映される構造が続く。財政力指数の低い自治体ほど対象外教科のデジタル化を断念せざるを得ず、結果として教科ごとに「デジタル化が進んだ教科」と「紙のみで進む教科」の二層化も同時進行する。Next GIGA端末更新の補助は1台あたり約55,000円と整理されているが、端末整備とコンテンツ整備の財源は別建てで、両方を確保できる自治体とできない自治体の差はさらに広がる。

姉妹コラム 「デジタル教科書の法的位置づけ — 閣議決定の意義」 では、本記事と対をなすかたちで制度設計面・閣議決定の意義を整理する。本記事(現実論)と併せて読むことで、移行期の構造が立体的に見えてくる構成になっている。

「移行期4年間」をどう設計するか

整理すれば、2026年5月時点のデジタル教科書政策は、4月7日閣議決定という制度上の到達点と、現場実装上の出発点が同時に存在する。2030年度の小学校本格適用までの約4年間は、3形態選択制のもとで地域格差が固定化される最後の機会であり、同時に格差を是正する政策設計の機会でもある。

求められるのは、選択制を維持しつつ「選択の前提条件」を底上げする補完策である。具体的には、研修受講率の低い自治体への研修事業の優先配分、高校整備率を引き上げるための高校向け財源の別建て、国庫負担対象教科の段階的拡大、端末更新補助とコンテンツ整備補助の連動などが挙げられる。これらを欠いたまま選択制だけを運用すれば、3形態選択制は格差の追認装置になりかねない。

エビデンス空白の問題も並行して解決する必要がある。文科省の実証研究を「使用実態の把握」から「学力影響の因果検証」に格上げし、移行期に3形態のもとで自然に発生する地域差を活用したRCT類似のデザインで因果効果を測定することが、2030年以降の制度精緻化の基盤になる。

韓国AIDTの1学期撤退は、教科書化が早すぎた時の現場の反応がどれほど劇的かを示した。同時に、選択制を採らず一律導入したことが失敗の要因の一つでもあった。日本の3形態選択制はこの教訓を一部踏まえているが、選択の前提条件を整えなければ別の形で同じ問題に直面する。正式化は出発点であって到達点ではない。移行期4年間の設計次第で、デジタル教科書は格差是正の手段にも、格差固定化の装置にもなる。

姉妹コラム 「不登校35.4万人 — 教育構造の地殻変動」 で見た不登校の急増、「私立高校無償化の死角」 で見た無償化政策の構造的死角と並べて読むと、教育政策全体が「制度を作る側」と「現場で受ける側」のあいだに大きな実装ギャップを抱えていることが見えてくる。デジタル教科書もまた同じ構造のなかにあり、制度設計だけでなく実装条件の地域格差をどう埋めるかが、政策の成否を分ける。


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参考文献

参考書籍

  • 『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子、東洋経済新報社、2018年): デジタル化以前の段階で日本の児童生徒の読解力に深刻な課題があることを実証データで示す。デジタル教科書導入の議論において「読解力向上の手段」として期待する言説への重要な反証として位置づけられる

読んだ後に考えてみよう

  1. 3形態選択制のもとで「紙のみ」を選ぶ自治体の児童生徒に対し、デジタル時代の学習機会を保障する補完策はどう設計できるか
  2. 文科省の実証研究がRCTを採用していない理由は何か。学力影響の因果検証なしに正式化を進めることの政策的リスクをどう評価するか
  3. 韓国AIDTの1学期撤退は「教科書化が早すぎた」のか、それとも「選択制を外して義務化したことの失敗」なのか。日本の3形態選択制はその教訓を活かせているか

この記事の用語

AIDT(AIデジタル教科書)
韓国が2025年3月に英語・数学・情報の3教科で世界初として正式導入したAI搭載デジタル教科書。AI機能により生徒の習熟度に応じた個別最適化学習が可能とされた。しかし導入後5ヶ月で接続率の低迷(世宗市中高生0.3〜0.5%)が判明し、2025年8月4日に韓国国会が「教科書」から「教育資料」に格下げする法改正を可決した。
GIGAスクール構想
文部科学省が2019年に打ち出した、全国の児童生徒に1人1台の端末と高速ネットワーク環境を整備する教育ICT政策。Global and Innovation Gateway for Allの略。2024年度から端末の更新(第2期)に入っている。
RCT(ランダム化比較試験)
介入の効果を因果的に検証する実験デザイン。参加者をランダムに介入群と対照群に割り付け、介入の有無以外の条件を均等化することで交絡要因を排除する。医療・政策評価・教育研究における因果推論の「ゴールドスタンダード」とされる。教育政策では対象規模・倫理的制約からRCT実施が難しい場合も多く、日本の学習者用デジタル教科書実証研究でも公表済みのRCTは存在しない。
デジタル教科書
学習者が端末(タブレット・PC等)上で使用するデジタル形式の教科書。2019年度から学校教育法上「紙の教科書と組み合わせて使用できる教材」として導入。2026年閣議決定により2027年施行の改正学校教育法で正式教科書として位置づけられる予定。紙のみ・紙+デジタル併用・デジタルのみの3形態選択制が採用される。
学校教育法
日本の学校教育の基本を定める法律(1947年制定)。学校の種類・目的・設置基準・教員資格・教科書制度を規定する。第34条が教科書使用義務(検定・採択・無償配布)の根拠規定であり、デジタル教科書の法的位置づけはこの条文の改正によって決まる。
教科書検定制度
日本の教科書出版社が作成した原稿を文部科学省が審査・合格させることで教科書として使用を認可する制度。学習指導要領への適合性・内容の正確性・表現の適切さ等が審査される。検定を通過した教科書のみが学校で使用可能となる(学校教育法第34条)。スウェーデンとの違いとして、日本のデジタル教科書は検定を経て品質保証される点が重要。

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