ざっくり言うと
- 令和6年度の精神障害の労災支給決定は1,055件で過去最多。前年883件から172件増え、6年連続の増加で初の1,000件超え
- 出来事別の最多はパワーハラスメント224件。カスタマーハラスメント108件がセクシュアルハラスメント105件を初めて上回った
- 長時間労働型の脳・心臓疾患は241件で精神障害の4分の1以下。労災の主戦場は過労死から心理的負荷へ移った
注記: 本記事は統計と制度の構造を解説する一般情報であり、個別の労災申請に関する判断を示すものではありません。具体的な申請・認定については、社会保険労務士・弁護士等の有資格者、または最寄りの労働基準監督署にご相談ください。
何が起きているのか
精神障害の労災支給決定が1,055件で過去最多。原因はパワハラが最多で、カスハラがセクハラを初めて上回った
2025年6月25日、厚生労働省が令和6年度の「過労死等の労災補償状況」を公表した。精神障害による労災の支給決定件数は1,055件となり、過去最多を更新した。前年度の883件から172件増え、6年連続の増加である。1,000件を超えたのは制度上初めてだ。
労災の入口にあたる請求件数は3,780件で、前年度より205件増えた。こちらは4年連続の増加となる。認定された事案のうち、自殺(未遂を含む)は88件だった。
支給決定を出来事別に見ると、構造がはっきりする。
支給決定は計1,055件で過去最多(6年連続の増加)。カスタマーハラスメント108件がセクシュアルハラスメント105件を初めて上回った。出典: 厚生労働省 令和6年度「過労死等の労災補償状況」(2025年6月25日公表)
最多は上司等からのパワーハラスメント224件。次いで仕事内容・仕事量の大きな変化が119件と続く。注目すべきは第3位だ。顧客等からの著しい迷惑行為(カスタマーハラスメント)が108件となり、セクシュアルハラスメントの105件を初めて上回った。
年齢別では、40代283件、30代245件、20代243件と、現役世代に集中している。若手からベテラン手前までの働き盛りが、心理的負荷で倒れている。
背景と文脈
2023年の認定基準改正による「窓口の拡大」と、労災の中心が長時間労働型から心理的負荷型へ移った経緯
認定基準改正という「窓口の拡大」
数字の増加を「職場が急に悪化した」と読むのは早い。制度の側が変わった影響を、まず切り分ける必要がある。
厚生労働省は2023年9月、心理的負荷による精神障害の認定基準を改正した。この改正で、「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」がカスタマーハラスメントとして具体的出来事に追加された。同時に、パワーハラスメントの6類型の具体例が評価表に明記された。
つまり、これまで認定の対象として言語化されていなかった負荷が、正式に「業務による心理的負荷」として拾えるようになった。件数の増加には、実態の悪化だけでなく、認定の網が広がったことによる顕在化が含まれる。
ただし、請求件数そのものが4年連続で増えている点は見逃せない。窓口が広がっただけなら請求は横ばいでもよいはずだ。申し立てる人が増え続けているという事実は、心理的負荷が実態としても積み上がっていることを示す。「顕在化」と「実態悪化」は同時に起きている。
労災の「主戦場」が移動した
かつて労災の象徴は過労死だった。長時間労働が脳や心臓の疾患を招き、命を奪う。判断の目安となるのが過労死ラインで、月80時間の時間外労働がひとつの基準とされてきた。
その過労死型はいま、どうなっているか。脳・心臓疾患の支給決定は241件である。3年連続で増えてはいるが、精神障害の1,055件と比べれば4分の1以下だ。労災補償の中心は、長時間労働による身体の破綻から、心理的負荷による精神の破綻へと移った。
この移動は、労働時間の規制が一定の効果を上げてきたことの裏返しでもある。時間外労働の上限規制が進み、身体を壊すほどの長時間労働は制度上は抑えられてきた。しかし負荷は消えたのではなく、形を変えた。
ハラスメントが労働問題の前面に出た
出来事別の上位を、パワハラ・カスハラ・セクハラというハラスメント群が占めている。労働の負荷の中心が、業務量そのものよりも、職場の人間関係と、顧客との関係に移っていることの表れだ。
とりわけカスタマーハラスメントがセクシュアルハラスメントを上回ったことは象徴的である。「お客様」という立場が、労働者に対する加害の温床になりうる。この非対称が、独立した認定事由として数えられるようになった。
構造を読む
労働の負荷が「時間の量」から「関係の質」へ移るなかで、認定という事後救済に予防が追いつかない構造
「時間の量」から「関係の質」へ
過労死は、突き詰めれば時間の量の問題だった。何時間働いたかが、身体の限界を決める。数えやすく、規制もしやすい。
精神障害の労災は、質の問題である。誰と、どのような関係のなかで働いたか。上司からの攻撃、顧客からの理不尽、仕事の裁量のなさ。これらは時間数のように単純には測れない。労働政策研究・研修機構(JILPT)も、支給決定が6年連続で増加していると分析する。負荷の質が変わったのに、職場の設計思想が追いついていない。
カスハラの制度化が示すもの
カスタマーハラスメントが認定事由として独立し、セクハラを上回った。この事実は、感情労働の負荷が制度に正面から拾われ始めたことを意味する。
小売、介護、コールセンター。顧客と直接向き合う仕事では、理不尽な要求に笑顔で応じることが求められてきた。「お客様は神様」という規範が、権力の非対称を覆い隠す。その負荷が可視化され、労災として認定される段階に入った。裏を返せば、これまで泣き寝入りされてきた被害の厚みが、それだけ大きかったということだ。
認定は事後救済、予防は追いつかない
ここに構造的な問題がある。労災認定は、あくまで被害が起きたあとの救済だ。件数の増加は、救済の仕組みが機能し始めた面と、被害の発生そのものが止まっていない面の両方を映す。
本来必要なのは、倒れる前の予防である。職場のハラスメント対策、カスハラから従業員を守る仕組み、仕事の裁量を確保する設計。これらが実効性をもたなければ、認定件数は今後も増え続ける。救済の数字が過去最多を更新し続ける状態は、予防の失敗の指標でもある。
労働時間の規制が過労死をある程度抑えたように、心理的負荷にも予防の制度設計が要る。数字が示すのは、その設計が現役世代の破綻に追いついていないという事実だ。
関連コラム
- 連続勤務14日上限と勤務間インターバル(長時間労働規制がどこまで負荷を抑えられるか)
- 「つながらない権利」はなぜ日本で進まないのか(勤務時間外の心理的負荷という論点)
参考書籍
『過労自殺 第二版』(川人博、岩波新書、2014年)は、過労死・過労自殺の実態と労災補償のあり方の変化を、弁護士として多くの事案に関わった著者が記録した一冊である。本記事が扱う精神障害の労災認定の背景を、具体的な事例と歴史から理解する手がかりになる。
参考文献
令和6年度「過労死等の労災補償状況」を公表します — 厚生労働省. 厚生労働省
心理的負荷による精神障害の認定基準を改正しました — 厚生労働省. 厚生労働省
「精神障害」の労災支給決定件数が6年連続の増加(ビジネス・レーバー・トレンド 2025年8・9月号) — 労働政策研究・研修機構(JILPT). 労働政策研究・研修機構