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一般社団法人 社会構想デザイン機構

化学物質管理 SDS 対応 — 法改正と中小企業負担構造

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ヨコタナオヤ
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労働安全衛生法は 2023 年 4 月と 2024 年 4 月の二段階で大幅に改正され、ラベル・SDS・リスクアセスメント対象物質は改正前の約 674 から、2024 年 4 月の約 896、2025 年 4 月の約 1,600、2026 年 4 月以降の約 2,900 物質規模へと段階拡大している。化学物質管理者の選任義務は業種・規模・量を問わず、海外メーカー製 SDS のローカライズも事業者責任に組み込まれた。FIRST-HAND Local が描いた医療・研究向け試薬企業の現場感を起点に、自律管理転換の制度負担構造を中小企業の視点から読み解く。

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ざっくり言うと

  1. 労働安全衛生法の改正により、ラベル・SDS・リスクアセスメント対象物質は改正前の約 674 から、2024 年 4 月の約 896、2025 年 4 月の約 1,600、2026 年 4 月以降の約 2,900 物質規模へと段階拡大している。化学物質管理者の選任は業種・規模・量を問わず、一人親方も対象になる
  2. 規制思想は「特化則・有機則のような物質指定型」から「事業者が自らリスクを評価し対策を選ぶ自律管理型」へ転換した。判定責任が行政から事業者へ移った結果、情報入手・判定・運用の 3 層で中小企業の固定費が増えている
  3. 化管法側でも 2023 年 4 月に第 1 種指定化学物質が 462 から 515 物質、第 2 種が 100 から 134 物質に拡大した。安衛法と化管法は対象物質リストを独立に管理しており、事業者は複数法令の改訂を並行追跡する必要がある

何が起きているのか

安衛法改正で SDS とリスクアセスメントの対象物質が大幅に拡大し、海外メーカー製 SDS のローカライズと過去 SDS の継続管理が中小事業者に集中している

化学物質管理の制度負担が、中小事業者の固定費として積み増しされている。FIRST-HAND Local(2026 年 5 月) は東京都の医療・研究機関向け試薬企業 A 氏のインタビューを通じて、製品の約 8 割が輸入品の事業者で起きている現場負担を提示した。海外メーカーから提供される SDS(安全データシート)は日本法に準拠しないため、成分ごとの照合と書き直しがほぼ手作業で進んでいる。海外では規制対象でない物質が日本法では規制対象になるケースもあり、Excel と無料ツール中心の管理では膨大な過去 SDS の更新に追従できない。市販の多機能パッケージシステムは初期費用もランニングコストも高額で、A 氏は「我々のような規模感の企業では費用対効果が合わない」と述べている。

A 氏の声は氷山の一角である。厚生労働省 によれば、労働安全衛生法の改正により、ラベル表示・SDS 交付・リスクアセスメントの対象物質は段階的に拡大されてきた。改正前の 約 674 物質から 2024 年 4 月時点で 約 896 物質、2025 年 4 月時点で 約 1,600 物質に拡大し、2026 年 4 月からは 約 2,900 物質規模が新たに段階的に追加される。化学物質管理者の選任は「リスクアセスメント対象物を製造または取扱う事業場全て」で義務化され、業種・規模・量を問わない。一人親方でも該当する。SDS の「人体に及ぼす作用」は 5 年以内ごとに定期的な確認・見直しが義務化され、変更時の通知義務もセットになった。

化管法側でも、経済産業省 の所管する化学物質排出把握管理促進法(化管法)が 2023 年 4 月に対象物質を改訂した。PRTR 届出基礎知識(2025 年 1 月) によれば、第 1 種指定化学物質は 462 物質から 515 物質 へ、特定第 1 種指定化学物質は 15 から 23 物質 へ、第 2 種指定化学物質は 100 から 134 物質 へ拡大した。化管法の対象物質改訂は制度発足(1999 年)以来 2 回目で、前回は 2008 年だった。

問題はこれが個別事業者の効率の問題ではないことである。安衛法は労働者のばく露防止を所管し、化管法は環境負荷の把握を所管する。両法は SDS 交付義務を並走させているが、対象物質リストは独立に管理されている。中小事業者は複数法令の改訂を並行して追跡し、自社取扱物質がどの法令のどの区分に該当するかを能動的に判定する責任を負う。本記事はこの状況を、個別事業者の管理能力の問題ではなく、制度設計の側から生じた負担構造として読む。

改正前〜 2023 年
674物質

物質指定型運用 (特化則・有機則中心)。対策は法定基準を満たせば足りた

第 1 段階2024 年 4 月
+222896物質

化学物質管理者選任義務化・ばく露低減義務・健康診断強化が全面施行

第 2 段階2025 年 4 月
+7041,600物質

自律的管理型への転換が現場に浸透。事業者が自らリスク評価する責任

第 3 段階2026 年 4 月
+1,3002,900物質

対象規模が改正前の 4.3 倍へ。SDS の 5 年再確認義務と並走

※ 中小事業者は複数法令の改訂を並行追跡し、自社取扱物質がどの法令のどの区分に該当するか能動的に判定する責任を負う

※ 出典: 厚生労働省『化学物質による労働災害防止のための新たな規制について』(段階施行資料)、宮城労働局『自律的な管理が今後の規制の基軸になります』、京都労働局『令和 6 年 4 月 1 日から新たな化学物質規制が全面施行されます』。改正前比で 2026 年 4 月時点は約 4.3 倍に拡大。SDS 交付義務は安衛法と化管法 (515 物質 + 23 + 134) で並走しているが、対象物質リストは独立管理

図: 労働安全衛生法 SDS / リスクアセスメント対象物質の段階拡大 (改正前 〜 2026 年)

背景と文脈

化学物質管理は安衛法・化管法・化審法・毒劇法・消防法・薬機法など 6 法以上の重層構造を持ち、改正は「個別規制型」から「自律的管理型」への転換と並行して進んだ

規制思想の転換 — 個別規制型から自律的管理型へ

化学物質管理は長らく「特化則・有機則のような物質指定型」で運用されてきた。厚生労働省や所管労働局は、特定の有害物質ごとに作業環境測定・特殊健康診断・局所排気装置設置などを具体的に義務付けてきた。今回の改正の核心は、この物質指定型を「事業者が自らリスクを評価し対策を選ぶ自律管理型」へ転換した点にある。宮城労働局の啓発資料 は「自律的な管理が今後の規制の基軸になります」と明示している。

転換が中小事業者に与える意味は大きい。物質指定型では「自社の取扱物質が指定リストに載っているか」だけを確認すれば、対策は法定基準を満たせば足りた。自律管理型では「自社の取扱物質が事業場でどのレベルのばく露を生じさせるか」を事業者自身が評価し、その結果に基づいて選んだ対策が「適切」と判断される根拠を文書として残す必要がある。判定の責任が行政から事業者へ移った構造である。

施行は二段階で進んだ。京都労働局の施行案内 によれば、令和 5 年(2023)4 月 1 日に SDS 等情報伝達強化・SDS 通知方法の柔軟化・リスクアセスメント実施結果の記録保存が施行され、令和 6 年(2024)4 月 1 日には化学物質管理者選任・ばく露低減義務・健康診断強化が全面施行された。

多層化した法令と SDS 交付義務

化学物質管理を規律する日本の法令は、安衛法と化管法だけではない。NITE が示す通り、化学物質審査規制法(化審法)が経産省・厚労省・環境省 3 省共管で新規化学物質の事前審査と既存化学物質のスクリーニング評価を担い、毒物及び劇物取締法(毒劇法)、消防法、薬機法、農薬取締法が個別領域を所管する。事業者から見ると、扱う物質が複数法令の規制対象に同時に該当する状況は珍しくない。

SDS 交付義務は安衛法と化管法の両方に存在する。日本工業規格 JIS Z 7252(分類)と JIS Z 7253(表示・SDS)が、国連の GHS(化学品の分類および表示に関する世界調和システム)を国内対応する形で運用されている。国連 GHS は 2003 年に採択され、SDS は 16 項目(製品情報・危険有害性・組成・応急処置・火災時の措置・漏出時の措置・取扱い保管・ばく露防止と保護具・物理化学的性質・安定性反応性・有害性情報・環境影響情報・廃棄上の注意・輸送上の注意・適用法令・その他)の統一構造を持つ。

各国の GHS 実装はバージョンや細部で異なる。EU は CLP 規則と SDS 規則 2020/878 を 2023 年 1 月から義務化し、米国 OSHA は HCS(危険有害性周知基準)の改訂版を 2024 年 7 月 19 日から施行した。日本の JIS は GHS 文書を国内対応するが、安衛法と化管法で物質リストが独立しているため、SDS フォーマットの統一性とリスト管理の分断が同居している。

中災防と中小企業支援の現状

中小事業者向けの公的支援を担う中心が中央労働災害防止協会(中災防)である。中災防 は化学物質管理者選任時の教育テキストと JISHA 方式リスクアセスメント手法を標準提供し、ケミサポ(厚労省委託の中小規模事業場向け化学物質管理支援事業)の相談窓口を運営している。厚労省も化学物質管理 相談窓口 を整備し、リスクアセスメント実施支援システム(CREATE-SIMPLE 等)を無償提供している。

ただし支援の射程は、相談窓口・教育講習・実施支援システムの提供にとどまる。EU の ECHA(欧州化学品庁)が運営する REACH-IT 共同登録のような、業界横断で SDS データを集約・共有するインフラは日本には存在しない。化学物質管理者選任講習は定員制で予約が取りにくいという声があり、講習会の供給制約が事業者側のスケジュールに跳ね返る状況も観察されている。

構造を読む

化学物質管理コストは情報入手・判定・運用の3層で発生し規模非中立。共同管理スキームと機械可読SDS標準化が中小事業者負担の構造的解決経路となる

問題を整理する。化学物質管理コストが中小事業者に集中する構造は、規制内容そのものではなく、規制と支援のバランス・共同管理スキームの不在・標準化機械可読 SDS の遅れという制度設計の側で生まれている。

第一に、化学物質管理コストには情報入手・判定・運用の 3 層構造がある。情報入手層は、6 法以上にまたがる物質リスト改訂を継続追跡する負担である。判定層は、自社取扱物質がどの法令のどの区分に該当するか、自律管理転換でこの判定責任が事業者側へ移ったことに起因する負担である。運用層は、SDS の 5 年再確認・ラベル更新・リスクアセスメント記録保存・化学物質管理者選任・ばく露低減記録の継続維持コストである。3 層はそれぞれ独立にコストを発生させ、いずれの層でも省略は法令違反のリスクを高める。

第二に、化学物質管理者選任義務の「業種・規模・量問わず」設計には規模非中立性がある。大企業も中小企業も同じ義務量を負うが、選任にかかる人件費・教育費・実務時間は固定費的に効くため、売上規模の小さい事業者ほど相対負担が大きくなる。FHL が描いた医療・研究向け試薬企業の事例は、輸入品比率の高い中小事業者ほど海外メーカー製 SDS のローカライズ作業が手作業として集中する構造を示している。

第三に、共同管理スキームの不在が中小事業者負担を構造的に下げる装置を欠かせている。EU REACH の「one substance, one registration」原則は、同一物質を複数事業者が登録する重複を防ぎ、登録データを共有する仕組みで中小事業者の登録コストを分散している。日本の化学物質管理にも、業界横断 SDS データベース・共通リスク評価データ・物質ごとの統一ラベル提案などを業界団体や行政が整備する経路は、設計上開かれている。

第四に、標準化機械可読 SDS(XML/JSON フォーマット)の普及が限定的である。経産省は化管法 PRTR 届出様式に法人番号欄を追加するなど電子化を進めているが、SDS 自体の構造化フォーマットでの流通は限定的で、中小事業者の多くは PDF と Excel を併用する運用にとどまる。法改正に連動した自動アラート、海外メーカー製 SDS の日本法準拠への自動変換、過去 SDS の改訂検知などは、機械可読フォーマットを前提に初めて成立する機能群である。

国際比較で日本の特徴を整理する。

国・地域主要法令対象物質登録方式中小企業支援
EUREACH / CLP / SDS 規則 2020/878製造・輸入 1 t/年以上は事前登録、one substance, one registration 原則ECHA の中小企業ガイダンス、REACH-IT 共同登録、SME 登録料減免
米国OSHA HCS(2024-07 施行の GHS 第 7 版整合版)製造業者責任の物質分類OSHA Small Business Compliance Assistance
日本安衛法・化管法・化審法・毒劇法・消防法・薬機法・農薬取締法法ごとに独立リスト、自律管理転換中災防、ケミサポ相談窓口、CREATE-SIMPLE

日本の特徴は、制度の重層構造、自律管理型への転換、共同登録スキームの不在にある。EU の one substance, one registration 原則を日本に導入できるかは別議論だが、中小事業者の登録コストを分散する装置が日本に欠けている事実は、政策設計の論点として明示できる。

最後に、化学物質管理は労働安全・環境保護・市場競争の交差点に位置する。化学物質管理コストが規模の経済を持つ場合、中小事業者の退出が寡占化を進め、市場の多様性とイノベーション基盤を弱める経路が開く。労働者ばく露防止と環境負荷把握という公益と、市場集中の回避という公益が、化学物質管理という単一の制度パッケージのなかで衝突する場面が生じうる。労災保険・健康保険・厚生年金など社会保険の労働基盤と化学物質管理は接続しており、化学物質管理を経由した労災発生の経済的負担は、事業者の社会保険料・労災保険料を通じて社会全体に再配分される構造を持つ。

問題は「中小企業が忙しい」という量の問題ではない。「制度が中小事業者の固定費を構造的に増やし、共同管理と標準化による削減装置を組み込んでこなかった」という質の問題である。化学物質管理者選任義務の支援充実、業界横断 SDS データベースの整備、JIS Z 7253 機械可読版の標準化、海外メーカー製 SDS のローカライズ支援を、規制強化と同じ重さで議論する必要がある。

化学物質管理の制度設計を理解したい読者には、GHS と SDS の基礎を体系的に整理した 『化学品の安全管理と情報伝達 SDSとGHSがわかる本 GHS国連文書・JIS対応』(化学物質評価研究機構編、丸善出版、2014 年)が参考になる。リスクアセスメントの実務手法を JISHA 方式で学びたい読者には、『テキスト化学物質リスクアセスメント』(中央労働災害防止協会編、2016 年)が標準教材として実装の細部を扱っている。中小事業者向けに厚労省版支援システムを使った実施手順を扱った 『すぐできる化学物質のリスクアセスメント: 厚生労働省版支援システムを活用!』(中央労働災害防止協会編)も、CREATE-SIMPLE 等の活用と組み合わせて読むと現場での運用が見えやすい。


関連コラム


参考文献

化学物質による労働災害防止のための新たな規制について厚生労働省. 厚生労働省 労働基準局

自律的な管理が今後の規制の基軸になります!宮城労働局. 厚生労働省 宮城労働局

令和 6 年 4 月 1 日から新たな化学物質規制が全面施行されます京都労働局. 厚生労働省 京都労働局

化学物質排出把握管理促進法(化管法)経済産業省. 経済産業省 製造産業局

化管法 PRTR 届出について(適切な届出に向けた基礎知識)経済産業省. 経済産業省 PRTR 制度資料

化学物質排出把握管理促進法(化管法)の施行状況と動向経済産業省 産業構造審議会. 経済産業省 産業構造審議会 保安・消費生活用製品安全分科会 化学物質政策小委員会 資料 5

化管法 法律条文、関連資料製品評価技術基盤機構(NITE). 製品評価技術基盤機構

化学物質 SDS とは中央労働災害防止協会. 中央労働災害防止協会 化学物質・衛生技術サービス

化学物質管理 相談窓口厚生労働省. 厚生労働省 労働基準局

Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals (GHS)United Nations Economic Commission for Europe. UNECE GHS Documents

参考書籍

読んだ後に考えてみよう

  1. 「業種・規模・量問わず」で化学物質管理者選任義務を課す設計は、規模ごとに支援を分配する制度補完なしでも社会的に正当化できるか
  2. 安衛法・化管法・化審法それぞれが独立に対象物質リストを改訂する現状は、事業者の制度コストを下げる方向に再設計できるか
  3. 海外メーカー製 SDS のローカライズコストを、輸入側中小事業者の自己責任ではなく業界横断インフラとして整備する経路はあり得るか

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