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一般社団法人 社会構想デザイン機構

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ISVD-LAB-002批判的分析

2.2.3

障害者の声はなぜ聞こえないのか — 証言的不正義の日本的構造

ヨコタナオヤ(横田直也)約9分で読めます

障害者が発する声が「主観的」「感情的」として体系的に割り引かれるメカニズムを、Frickerの証言的不正義理論とアグノトロジーの交差点から分析する。荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』を主要参照とし、日本の福祉制度における認識的排除の構造を明らかにする。

何が起きているのか

「当事者の声を聞く」。この言葉は、日本の福祉政策のあらゆる場面で語られる。障害者総合支援法の制定過程、自治体の障害者計画策定委員会、障害者差別解消法の運用方針。制度上、障害者の意見表明の場は存在する。

だが、「聞く」と「聴く」の間には、深い溝がある。

障害者が体験に基づいて発する声は、しばしば以下のように処理される。「それはあなたの主観ですよね」「感情的にならずに冷静に話してください」「制度としてはすでに対応しています」「すべてのケースに対応するのは難しい」。

これらの応答は、一つひとつを取れば不合理ではないかもしれない。だが、体系的に繰り返されるとき、それは障害者の声を構造的に無力化するメカニズムとして機能する。Miranda Fricker(外部サイト・新しいタブで開きます)(2007)が「証言的不正義(Testimonial Injustice)」と呼んだ現象が、ここに存在する。

問題は「聞いていない」ことではない。「聞いたことにしている」ことである。

第1層: 社会的偏見
「障害者には判断力がない」「感情的で信用できない」 というステレオタイプが社会に根づく
第2層: 信頼性の割引
当事者の証言が「偏見フィルター」を通され 発言の重みが不当に軽減される
第3層: 声の排除
意見表明の場そのものから排除され 「語る資格」を問われる構造が完成する
図: 障害者の証言的不正義 — 偏見が声を排除する3層構造

背景と文脈

Frickerの証言的不正義理論

(Fricker, 2007(外部サイト・新しいタブで開きます))は『Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing』(外部サイト・新しいタブで開きます)において、知識をめぐる不正義を二つの類型に分類した。

証言的不正義(Testimonial Injustice): 話し手の社会的属性(性別、人種、障害の有無、社会的地位)に基づく偏見により、その証言の信頼性が不当に割り引かれる現象。女性の証言が「感情的」として割り引かれ、精神障害者の証言が「病気のせい」として割り引かれるケースがこれにあたる。

解釈的不正義(Hermeneutical Injustice): 社会的に周縁化された集団が、自らの経験を理解し表現するための概念的資源を不当に欠如させられている状態。セクシュアル・ハラスメントという概念がなかった時代、被害者は自身の経験を言語化する手段を持たなかった。概念がなければ、経験は「存在しないこと」になる。

Frickerの理論が重要なのは、不正義が「知る」という行為そのものに内在しうることを明らかにした点である。差別は行為や制度だけでなく、認識の構造にも埋め込まれている。

荒井裕樹が明らかにした日本の構造

荒井裕樹(外部サイト・新しいタブで開きます)(2020)は『障害者差別を問いなおす』(外部サイト・新しいタブで開きます)において、日本の障害者差別の歴史を丹念に追跡した。荒井が特に重視したのは、障害者の「声」がいかにして聞かれなくなるかというプロセスである。

日本の障害者運動は、1970年代の「青い芝の会」運動に一つの画期を持つ。重度脳性麻痺者による自己主張は、当時の社会に大きな衝撃を与えた。「健常者の善意」を拒否し、「障害者として生きる権利」を主張した彼らの声は、しかし、しばしば「過激」「非現実的」として周縁化された。

この構造は現在も形を変えて継続している。障害者の声は「聞かれるべきもの」として制度に組み込まれたが、その「聞き方」が証言的不正義を再生産している。

相模原事件(2016年)が露呈したもの

2016年7月、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害される事件が起きた。犯人は「障害者は不幸を作ることしかできない」と語った。

この事件は、障害者の生存権に対する直接的な否定であると同時に、社会の深層にある認識構造を露呈させた。事件後のメディア報道や社会の反応において、被害者の名前は匿名で報じられた。これは被害者のプライバシー保護という理由で正当化されたが、同時に、障害者が「名前を持った個人」として社会に存在することの困難を象徴していた。

荒井(2020)が指摘するように、事件後「共生社会」の理念が語られる一方で、障害者当事者の声が政策に反映される構造的変化はほとんど生じなかった。「二度と起こしてはならない」という言説は、「なぜ起きたのか」を構造的に問う作業を代替してしまった。

構造を読む

証言的不正義の3層構造

日本の福祉制度における証言的不正義は、3つの層が重なり合って機能している。

第1層: 属性に基づく信頼性割引

Frickerが理論化した証言的不正義の基本形である。障害者が経験を語るとき、その証言は「障害があるから」という理由で割り引かれる。

知的障害者の証言は「理解力が不十分」として割り引かれる。精神障害者の証言は「症状の影響」として割り引かれる。身体障害者の証言であっても、「困難を過大評価している」として割り引かれることがある。

重要なのは、この割引が明示的な差別意識ではなく、「善意」の枠組みの中で行われることである。「あなたのためを思って」「専門家の判断に基づいて」「客観的に見て」、こうした言葉が証言の割引を正当化する。

第2層: 代弁者への依存構造

障害者の声は、しばしば「代弁者」を通じてのみ社会に届く。福祉専門職、家族、支援団体といった代弁者は、障害者の声を「翻訳」する役割を担う。

代弁自体は必要な場面もある。しかし、代弁が構造化されると、障害者本人の声は代弁者のフィルターを通過しなければ社会に届かなくなる。代弁者が「翻訳」する過程で、障害者の経験のニュアンスや固有性が削ぎ落とされ、制度が理解可能な言語に変換される。

この構造は、障害者から「自ら語る」主体性を奪う。当事者が直接語る場合でも、「代弁者が同席していないと信頼性が低い」という暗黙の前提が作用する。

第3層: 「聞いたことにする」形式的参加

制度上、障害者の参加は保障されている。障害者計画策定委員会には障害者代表が参加する。パブリックコメントの機会は設けられている。意見聴取の場は存在する。

だが、「参加の形式」と「影響力の実質」は別の問題である。委員会への参加が「アリバイ」として機能するとき、つまり「障害者の意見も聞いた」という事実を作るために参加が利用されるとき、形式的参加はむしろ証言的不正義を強化する。「聞いた」という事実が、「聞き入れなかった」という判断を正当化するからである。

解釈的不正義の複合

証言的不正義だけでは、障害者の認識的排除の全体像を捉えられない。Frickerのもう一つの概念である解釈的不正義が、ここに重なる。

障害者が経験する困難の多くは、社会の側に適切な概念がないために、「存在しないもの」として扱われる。

たとえば、「合理的配慮」の概念が普及する以前、障害者が「この環境は自分にとってバリアになっている」と訴えても、それは「わがまま」や「甘え」として処理された。バリアを語る言語がなかったのではない。社会の側がバリアを認識する概念的枠組みを持っていなかったのである。

障害者差別解消法(2016年施行)が「合理的配慮の不提供」を差別として定義したことは、解釈的不正義を部分的に解消する制度的進展であった。2024年版障害者白書によれば、日本の障害者数は約1,160万人に達しており、認識的排除の影響規模は決して小さくない。この進展は、の理念が制度に実装された事例として位置づけられる。しかし、「何が合理的配慮にあたるか」の解釈権は、依然として主に制度の側にある。

Mills「人種契約」との接続

Charles W. Mills(外部サイト・新しいタブで開きます)(1997)は『The Racial Contract』(外部サイト・新しいタブで開きます)において、白人優越社会が構造的に維持する「認識論的契約」を分析した。この契約は、「何を知らないことにするか」についての暗黙の合意である。

Millsの「白人の無知(White Ignorance)」の概念は、障害者に対する認識的排除にも適用可能である。社会は、障害者の経験を「知らないことにする」暗黙の契約を結んでいる。街のバリアフリーの不備、施設の人員不足、就労機会の制限といった問題は「知られていない」のではなく、「知らないことにされている」。

(Proctor, 2008(外部サイト・新しいタブで開きます))の無知の三類型でいえば、これは第三類型(戦略的に作られた無知)の一変種である。ただし、タバコ産業のような単一のアクターが無知を製造しているわけではない。無知は、制度・メディア・社会規範の複合的な作用によって、分散的に生産・維持されている。

日本的構造の特殊性

日本の福祉制度における証言的不正義には、いくつかの文化的・制度的な特殊性がある。

「迷惑」の文化: 障害者自身が「迷惑をかけてはいけない」と内面化していることが、声を上げること自体を抑制する。これは外部からの抑圧ではなく、内面化された認識的排除である。

「お世話になっている」関係性: 福祉サービスの利用者と提供者の間に、対等な権利関係ではなく「恩恵」の関係性が成立しやすい。この非対称的な関係において、利用者が不満を表明することは「恩知らず」として社会的に不適切とされる。

専門家主義の強さ: 医療・福祉の専門家の判断が、当事者の声よりも優先される構造がある。「専門家の見解」が「当事者の経験」を上書きする。これは証言的不正義の制度的表現である。

本研究室の問い

  • 障害者の証言的不正義は、どのような場面で、どのようなメカニズムで生じているかを実証的に記述できるか
  • 「形式的参加」が実質的な影響力に転化する条件は何か。制度設計のどの要素が鍵となるか
  • 解釈的不正義の解消、つまり障害者の経験を語る新たな概念の創出において、当事者研究やピアサポートはどのような役割を果たしうるか
  • 日本固有の文化的文脈(「迷惑」「お世話になっている」)は、証言的不正義をどの程度強化しているか
  • 相模原事件後の「共生社会」言説は、証言的不正義の構造的解消に寄与したか、それとも新たな形で再生産したか

これらの問いは、次の事例分析「貧困と認識的排除」とも直結する。障害と貧困は高い頻度で交差し、認識的排除の複合的な構造を形成する。市民参加のプロセス設計で論じた当事者参加の設計原則は、障害者の認識的排除を制度レベルで解消するための実践的示唆を含んでいる。

この記事で使った統計の出典

  1. 1内閣府 障害者白書(2024) 出典を開く

参考文献

  1. 1.
  2. 2.

参考書籍

  1. 1.
    障害者差別を問いなおす(外部サイト・新しいタブで開きます)

    荒井裕樹 (2020)

    ちくま新書

    日本における障害者差別の歴史的構造と社会的排除のメカニズムを分析した基礎文献

  2. 2.
    The Racial Contract(外部サイト・新しいタブで開きます)

    Mills, C. W. (1997)

    Cornell University Press

    人種契約論の枠組みを通じて社会契約における排除構造を理論化した重要文献

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