何が起きているのか
気候変動のデータを見ても「まだ確定していない」と言い、自分の能力を過大評価し、不都合な健康診断の結果を「見なかったこと」にする。
これらは外部の権力や制度に強制された無知ではない。個人が自発的に、しかも多くの場合無意識的に、「知らないでいること」を選択している。Proctor(2008)の無知学が主に分析してきた「戦略的に作られた無知」——タバコ産業や化石燃料産業が組織的に生産する無知——とは異なる次元の問題である。
Steven Sloman & Philip Fernbach(2017/邦訳2018)は『The Knowledge Illusion(知ってるつもり——無知の科学)』において、人間の認知が根本的に「個人の頭の中」で完結しないことを示した。われわれは自分が思っているほど世界を理解しておらず、その無理解をほとんど自覚していない。この「知識の錯覚(illusion of explanatory depth)」は、認知科学が発見した人間の基本的な特性である。
「知識の錯覚」が動機づけられた推論(motivated reasoning)と結合すると、強力な無知の自己生産メカニズムが形成される。人は、自分がすでに十分に知っていると錯覚し、さらに自分の信念に合致しない情報を積極的に回避する。外部から無知を強制する必要はない——個人が自ら無知を選択し、維持する構造がそこにある。
動機づけられた無知の自己強化サイクル
(図解準備中)
背景と文脈
知識の錯覚——Sloman & Fernbachの発見
Sloman & Fernbach(2017)の中核的な知見は、人間が「説明の深さの錯覚(illusion of explanatory depth)」を持っているということである。
彼らが引用するRozenblit & Keil(2002)の実験は、この現象を端的に示している。実験参加者に「ファスナーはどのように機能するか」と尋ねると、多くの人は「知っている」と答える。しかし、実際にステップバイステップで説明を求めると、ほとんどの人は途中で行き詰まる。われわれは、自分が理解していないことを理解していない。
この錯覚が生じるメカニズムについて、Sloman & Fernbachは「認知的分業(cognitive division of labor)」の概念を用いて説明する。人間の認知は個人で完結するのではなく、他者や環境との協働で機能している。ファスナーを「知っている」と感じるのは、必要になれば誰かに聞ける、あるいは調べられるという暗黙の前提があるからである。
問題は、この認知的分業が「自分が実際に何を知っているか」の自己評価を系統的に歪めることにある。他者や環境に分散された知識を、あたかも自分自身の知識であるかのように錯覚する。Sloman & Fernbachはこれを「コミュニティの知識と個人の知識の混同」と表現した。
ダニング=クルーガー効果——能力の低い者ほど自信を持つ
David Dunning & Justin Kruger(1999)が報告した効果は、知識の錯覚をさらに先鋭化させる。論理的推論、文法、ユーモアの評価といった課題において、成績の低い参加者ほど自己の成績を過大評価する傾向が見られた。
橘玲(2022)は『バカと無知』において、この効果の社会的含意を論じた。能力の低い者が自身の能力を過大評価し、能力の高い者が自身の能力を過小評価するならば、社会的な議論の場において最も声が大きいのは、最も判断能力が低い者になりうる。
ダニング=クルーガー効果が無知学的に重要なのは、これが「メタ認知の失敗」——自分が何を知らないかを知らない——を体系的に引き起こすからである。Proctorの無知学が分析する「戦略的に作られた無知」は、外部の行為者が意図的に知識を妨げる。しかし、ダニング=クルーガー効果においては、個人が自身の認知能力の限界を認識できないこと自体が、「知ろうとしない」態度を生み出す。知らないことを知らなければ、知ろうとする動機が生じない。
確証バイアスと動機づけられた推論
知識の錯覚が「自分は十分に知っている」という誤った自信を生み出し、ダニング=クルーガー効果が「自分の判断は正しい」という過信を支える。この上に、確証バイアスと動機づけられた推論が重なると、無知の自己生産メカニズムが完成する。
確証バイアスとは、自分の既存の信念を支持する情報を選択的に収集・解釈し、反する情報を無視・過小評価する傾向である。この傾向は人間の認知に普遍的に観察され、知能や教育水準の高い人においても作動する。
動機づけられた推論(motivated reasoning)は、確証バイアスをさらに一歩進めたものである。これは、望ましい結論に到達するように推論過程そのものが歪められる現象を指す。Dan Kahan(2013)の研究が示したように、科学リテラシーの高い人ほど、自分の政治的信念に合致するように科学的データを解釈する傾向がある。
この知見は直観に反する。科学リテラシーが高ければ、データを客観的に評価できるはずだ、と多くの人は考える。しかし実際には、科学リテラシーは「自分の信念を支持する理由をより巧みに構築する能力」としても機能する。知識が増えるほど、動機づけられた推論の「武器」が増えるのである。
認知的不協和——「知りたくない」の感情的基盤
Leon Festinger(1957)が理論化した認知的不協和は、動機づけられた無知の感情的基盤を説明する。
自分の信念や行動と矛盾する情報に接したとき、人は不快な心理的緊張(不協和)を経験する。この不協和を解消する方法は3つある。①情報を否定する、②信念を修正する、③両者を整合させる新たな解釈を見つける。
心理的に最も容易なのは①の情報の否定であり、最も困難なのは②の信念の修正である。したがって、人間は不都合な情報を「知らなかったことにする」方向に動きやすい。
喫煙者が肺がんリスクのデータを知りながら禁煙しないのは、典型的な認知的不協和の事例として知られる。しかし、無知学的に興味深いのは、喫煙者がリスク情報を「積極的に回避する」行動である。タバコのパッケージに印刷された警告画像から目を逸らす、喫煙と健康に関する記事を読まない——これらの行動は、情報が存在するにもかかわらず「知らないでいる」ことを自ら選択している状態を示している。
構造を読む
動機づけられた無知の3層モデル
上記の認知科学的知見を統合すると、動機づけられた無知は3つの層から構成されるモデルとして記述できる。
第1層: 認知的怠惰(cognitive laziness)
Daniel Kahneman(2011)が『Thinking, Fast and Slow(ファスト&スロー)』で示したように、人間の認知にはシステム1(高速・自動・省力)とシステム2(低速・意識的・高負荷)の2つのモードがある。デフォルトではシステム1が優勢であり、システム2を起動するには意識的な努力が必要である。
知識の錯覚は、このシステム1の省力性と結びついている。「自分はすでに知っている」と錯覚することで、システム2を起動して深く考える必要がなくなる。認知的怠惰は、「知らないことを知らない」状態を快適なまま維持する。
この層の無知には、意図も感情もほとんど関与しない。単に、深く考えることの認知的コストを回避した結果として生じる。
第2層: 感情的防衛(emotional defense)
認知的不協和が示すように、不都合な情報は心理的不快感を引き起こす。第2層では、この不快感を回避するために、情報の受容を拒否する。
自分の投資判断が誤っていたことを示すデータ、自分の子供の学力が平均以下であることを示す成績表、自分の健康状態が悪化していることを示す検査結果——これらの情報は、受容すれば自己像の修正を迫るため、感情的に回避される。
感情的防衛は、認知的怠惰とは異なり、能動的なプロセスである。情報は存在しており、アクセスも可能であるが、感情的な不快感を避けるために意識的・無意識的に回避する。
第3層: アイデンティティ防衛(identity defense)
最も強力な層は、アイデンティティの防衛である。情報が単に「不都合」であるだけでなく、自己のアイデンティティの根幹を脅かす場合、回避の動機は極めて強くなる。
Kahan(2013)が「文化認知(cultural cognition)」と呼ぶ現象がこの層に該当する。気候変動に関する科学的データを否定する人々は、データの内容を理解できないのではない。気候変動の受容が、自らが属するコミュニティ——保守的な価値観、自由市場の支持、政府規制への懐疑——のアイデンティティと矛盾するために、データを拒否するのである。
アイデンティティ防衛の次元では、「何を知っているか」が「自分が何者であるか」と直結している。気候変動を認めることは、環境規制を支持する陣営に「寝返る」ことを意味しかねない。事実の受容が帰属集団からの排除リスクを伴うとき、事実を拒否することは個人にとって「合理的」な選択となる。
McIntyre(2018)が『Post-Truth』で分析した「ポスト真実」の状態は、このアイデンティティ防衛が社会的規模で作動した帰結として理解できる。真実が重要でなくなったのではなく、アイデンティティの維持が真実の受容に優先するようになった。
構造的無知と動機づけられた無知の相互増幅
ここまでの分析は個人の認知レベルに焦点を当ててきたが、動機づけられた無知は、Proctorが分析した構造的無知と独立に作動するわけではない。両者は相互に増幅し合う。
構造的無知が動機づけられた無知を増幅するメカニズムは以下の通りである。タバコ産業が「喫煙と肺がんの因果関係は確立されていない」という疑義を組織的に流布すると、喫煙者は自身の認知的不協和を解消するための「材料」を手に入れる。「科学者の間でも意見が分かれている」という(実際には虚偽の)フレーミングは、「知らなくてもよい理由」を提供する。構造的に生産された不確実性が、個人レベルの動機づけられた無知を正当化する。
逆に、動機づけられた無知が構造的無知を増幅するメカニズムもある。消費者が不都合な情報を「知りたくない」と望むとき、その需要に応えるメディアや政治家が登場する。「あなたが知りたくないことは、知らなくてよい」というメッセージを提供する陰謀論メディア、ポピュリスト政治家、疑似科学的健康食品広告は、個人の動機づけられた無知を組織的に利用し、構造的な無知の生産へとスケールアップさせる。
この相互増幅のダイナミクスは、無知学の分析枠組みにとって重要な示唆を持つ。構造的無知と動機づけられた無知を別々に分析するだけでは不十分であり、両者の相互作用のメカニズムを理解する必要がある。
「知ること」のコスト構造
動機づけられた無知が合理的選択として成立する条件を、コスト構造の観点から整理する。
「知ること」には複数のコストが伴う。第一に、情報収集の認知的コスト(時間と注意の投入)。第二に、信念修正の心理的コスト(認知的不協和の経験)。第三に、行動変容の実践的コスト(生活習慣の変更、社会的関係の再構築など)。第四に、アイデンティティ再構築のコスト(自己像の修正、帰属集団の変更など)。
これらのコストが「知ること」の便益を上回るとき、「知らないでいること」は個人にとって合理的な選択となる。特に第四のアイデンティティ再構築コストは極めて高く、このコストが大きい状況では、いくら情報を提供しても知識の更新は生じにくい。
この分析は、情報提供だけでは動機づけられた無知に対抗できないことを示唆する。ファクトチェックや科学教育は第一のコスト(情報収集)を下げるが、第二から第四のコストには効かない。むしろ、信念修正やアイデンティティ再構築の心理的安全性を高める社会環境の設計が必要である。
本研究室の問い
動機づけられた無知の分析は、以下の問いを本研究室に提起する。
- 知識の錯覚を個人が自覚する(メタ認知を改善する)ための効果的な介入は何か
- アイデンティティ防衛が作動する閾値を引き下げる——つまり、信念修正がアイデンティティの脅威にならない環境を設計する——方法はあるか
- 構造的無知と動機づけられた無知の相互増幅ループを断ち切る介入点はどこか
- 「知らないでいる権利」と「知るべき義務」の境界はどこに引かれるべきか
これらの問いは、認知科学の知見と無知学の構造分析を架橋する地点に位置している。
参考文献
知ってるつもり——無知の科学
Sloman, S. & Fernbach, P.(土方奈美訳). 早川書房
原文を読む
バカと無知——人間、この不都合な生きもの
橘玲. 新潮新書
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Post-Truth
McIntyre, L.. MIT Press
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Agnotology: The Making and Unmaking of Ignorance
Proctor, R. N. & Schiebinger, L.. Stanford University Press
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