一般社団法人社会構想デザイン機構
ISVD-LAB-002基盤構築
1.4.6

タブーの生産機構 — 「言ってはいけない」を誰が決めるのか

橘玲『言ってはいけない』が提起した問い——遺伝・知能・容姿について「語ること自体が禁じられる」メカニズムを、無知学の視座から構造的に分析する。タブーは自然発生するのではなく、特定の社会的条件下で生産・維持される。

横田 直也
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何が起きているのか

遺伝と知能の相関。容姿と社会的成功の関係。犯罪傾向の遺伝的要因。これらのテーマについて、科学的なデータは蓄積されている。しかし、公の場で語ること自体が強い忌避にさらされる。

橘玲は2016年の『言ってはいけない——残酷すぎる真実』で、この状況を正面から取り上げた。行動遺伝学の知見、容姿と所得の相関、知能の遺伝率に関するデータを紹介し、「なぜこれらは語られないのか」という問いを突きつけた。同書は60万部を超えるベストセラーとなり、多くの読者がこの問いに反応した。

しかし、橘のアプローチには限界がある。彼の関心は「タブーの内容」——何が言ってはいけないのか——に集中しており、「タブーの構造」——なぜそれが言ってはいけなくなるのか——の分析は十分ではない。

無知学の視座から見れば、タブーは単なる「触れてはいけない話題」ではない。それは「知らないでいること」を組織的に生産・維持するメカニズムの一形態である。タブーの存在自体が、特定の領域における探究を抑制し、知識の空白を構造的に作り出す。

タブー生産メカニズムの構造図
(図解準備中)

図: タブー生産のメカニズム

背景と文脈

橘玲の問題提起——内容としてのタブー

橘玲の仕事を整理すると、彼が指摘した「言ってはいけないこと」は大きく3つの領域に分類できる。

第一に、遺伝と能力の関係である。行動遺伝学の双生児研究は、知能の遺伝率が50〜80%程度であることを繰り返し示してきた。この知見は「努力すれば誰でもできる」という教育的信念と真っ向から衝突する。そのため、教育の現場で語ることは事実上不可能である。

第二に、容姿と社会的成功の関係である。経済学の研究は、外見の魅力と所得・昇進の間に有意な相関があることを示している。Daniel Hamermesh(2011)の『Beauty Pays』が代表的な研究であるが、この知見を公然と語れば「ルッキズム」の批判を招く。

第三に、犯罪・暴力傾向の生物学的基盤である。MAO-A遺伝子の変異と攻撃性の関連など、行動遺伝学の知見は蓄積されているが、この領域は優生学の歴史的記憶と直結するため、研究自体への忌避が強い。

橘はこれらの知見を「残酷すぎる真実」として提示したが、彼のフレーミング自体がタブーの構造を見えにくくしている側面がある。「残酷な真実を暴く勇敢な著者」というナラティブは、タブーを個人の勇気の問題に矮小化してしまう。

『バカと無知』——ダニング=クルーガー効果の社会的機能

橘は2022年の『バカと無知——人間、この不都合な生きもの』で、議論をさらに展開した。この著作の中心的な問いは、ダニング=クルーガー効果——能力の低い者ほど自身の能力を過大評価する傾向——がなぜタブーなのか、である。

ダニング=クルーガー効果が日常的に語られないのは、この知見が「平等」という規範的前提と衝突するからである。「すべての人の意見は等しく尊重されるべきだ」という民主主義的理念は、「すべての人の判断能力は等しくない」という経験的知見と両立しにくい。

無知学の観点から見れば、ダニング=クルーガー効果のタブー化は、認識的平等主義(epistemic egalitarianism)が構造的に生み出す無知の一形態である。平等の理念を守るために、能力の不平等に関する知識が抑圧される。

山本七平の「空気」——タブーの日本的機構

山本七平は1977年の『「空気」の研究』で、日本社会における意思決定のメカニズムを分析した。山本が「空気」と呼んだものは、言語化されない集合的圧力であり、「何を言っていいか」と「何を言ってはいけないか」を暗黙のうちに規定する。

「空気」はタブーの日本的実装形態として理解できる。西欧社会のタブーが法律や宗教的教義として明示化されやすいのに対し、日本社会のタブーは「空気を読む」という形で非明示的に作動する。

無知学の枠組みでは、この差異は重要である。明示化されたタブーは批判の対象にしやすい。「この法律は不当だ」と主張することは可能であるし、そのための手続き(訴訟、立法運動等)も存在する。しかし、「空気」として存在するタブーには、批判の足場がない。「空気が不当だ」と主張しても、「そんな空気はない」と否定されれば反論は困難である。

山本はこの構造を「臨在感的把握」と呼んだ。特定の対象に「臨在」する何かが感じ取られ、その感覚が共有されることで、合理的な議論を超えた拘束力が生まれる。この過程では、「なぜそれについて語ってはいけないのか」という問い自体が抑制される。

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タブー生産の3段階モデル

橘玲が指摘した「言ってはいけないこと」と、山本七平が分析した「空気」のメカニズムを無知学的に統合すると、タブー生産の3段階モデルが導出される。

第1段階: 道徳的枠組みの設定

特定の知識領域が「道徳的に敏感な問題」として枠づけられる。遺伝と知能の関係は「差別を助長しかねない」知識として、容姿と成功の関係は「ルッキズムにつながる」知識として、それぞれ道徳的な枠組みに組み込まれる。

この枠づけ自体は、必ずしも悪意によるものではない。歴史的に、遺伝と能力に関する言説が優生学的な政策に利用された事実は否定できず、道徳的警戒には正当な根拠がある。問題は、道徳的枠づけが「その話題を語ること自体」への禁忌に転化する点にある。

第2段階: 逸脱者への社会的制裁

枠づけが定着すると、その枠を踏み越える者に対する社会的制裁が作動する。学者が遺伝と知能の研究結果を公表すれば「差別主義者」のレッテルを貼られるリスクがある。ジャーナリストが容姿と所得の相関を報じれば「不適切」として非難される。

SNS時代において、この制裁のスピードと強度は増大した。一つの発言が「炎上」すれば、文脈を無視した批判が殺到し、職を失うことすらある。制裁の非対称性——攻撃コストの低さと防御コストの高さ——は、ブランドリーニの法則の社会的制裁版ともいえる。

第3段階: 自己検閲の内面化

外部からの制裁が繰り返されると、やがて個人は制裁を受ける前に自ら語ることを控えるようになる。これが自己検閲の内面化である。

自己検閲は、外部からは観察しにくい。語らなかった研究テーマ、書かなかった論文、避けた取材対象——これらは「存在しないもの」として不可視のままである。無知学が「ないことの知」を分析する学問であるならば、自己検閲によって生み出される知識の空白は、まさに分析対象の中核に位置する。

silence-structuringとepistemic-exclusionの複合

Proctor(2008)の無知学の枠組みで分析すると、タブーの生産機構は2つのメカニズムの複合として記述できる。

第一のメカニズムは「沈黙の構造化(silence-structuring)」である。タブーは特定のテーマについて「語らないこと」を社会的に組織する。学会の発表プログラムから排除される、学術誌の査読で「倫理的に問題がある」として却下される、メディアが取り上げない——これらの過程を通じて、沈黙が構造化される。

第二のメカニズムは「認識的排除(epistemic-exclusion)」である。Fricker(2007)の証言的不正義の文脈では、特定の話者の証言が社会的偏見によって不当に割り引かれる。タブーの場合、排除されるのは話者ではなく話題そのものである。「そのテーマ自体が正当な研究対象ではない」という前提が共有されることで、そのテーマに関する知識生産が構造的に妨げられる。

この2つのメカニズムが複合的に作動する点が重要である。沈黙の構造化が特定のテーマについて語る機会を奪い、認識的排除がそのテーマを探究すること自体の正当性を否定する。両者が同時に作動することで、タブーは自己強化的なループを形成する。

タブーの生産性——「知らないこと」が生み出すもの

無知学の核心的洞察は、無知が単なる「知識の欠如」ではなく、「社会的に生産されるもの」であるという点にある。タブーもまた、単に知識を欠いた状態ではなく、積極的に「知らないでいる状態」を生産するメカニズムである。

そして、タブーが生産する「知らないこと」は、社会的機能を持っている。

第一に、タブーは社会的安定に寄与する。遺伝と能力の関係について全員が正確に知っている社会と、その知識がタブー化されている社会では、後者のほうが教育への投資意欲が高いかもしれない。「努力は報われる」という信念は、遺伝率のデータとは両立しにくいが、社会的には有用な虚構でありうる。

第二に、タブーは弱者保護に寄与しうる。容姿と所得の相関について公然と語れば、容姿に恵まれない人々への差別が正当化されるリスクがある。タブー化は、この正当化を防ぐ社会的防衛機制として機能している面がある。

第三に、しかし、タブーは問題の温存にも寄与する。遺伝と能力の関係を直視しないことで、「努力が足りない」という自己責任論が温存される。容姿差別の構造を分析しないことで、対策が講じられない。知らないでいることが、知るべきことを隠蔽し続ける。

この両義性——保護と隠蔽の二重機能——が、タブーの無知学的分析を困難にすると同時に、必要にもしている。

本研究室の問い

タブーの生産機構を構造的に理解することは、以下の問いにつながる。

  • タブー化のプロセスはどの時点で「正当な道徳的警戒」から「構造的な知識抑圧」に転化するのか
  • 自己検閲によって失われた知識の量と質を、事後的に推定する方法はあるか
  • タブーの保護機能を維持しながら、知識抑圧機能を解除するデザインは可能か
  • デジタル空間におけるタブーの生産メカニズムは、山本七平が分析した「空気」とどのように異なるか

これらの問いは、個人の勇気ではなく社会の設計として取り組むべき課題である。

参考文献

言ってはいけない——残酷すぎる真実

橘玲. 新潮新書

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バカと無知——人間、この不都合な生きもの

橘玲. 新潮新書

原文を読む

「空気」の研究

山本七平. 文藝春秋

原文を読む

Agnotology: The Making and Unmaking of Ignorance

Proctor, R. N. & Schiebinger, L.. Stanford University Press

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Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing

Fricker, M.. Oxford University Press

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