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一般社団法人社会構想デザイン機構
ISVD-LAB-002批判的分析
2.2.4

貧困と認識的排除 — 「知ることすらできない」構造

横田 直也
約9分で読めます

鈴木大介『最貧困女子』が描いた「三つの縁」の喪失は、情報へのアクセス遮断と不可分である。貧困が無知を強制し、無知が貧困を再生産するスパイラルを、認識的排除と複雑性の武器化の複合メカニズムとして分析する。

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何が起きているのか

生活保護の申請方法を知らない。職業訓練制度の存在を知らない。奨学金の返済免除条件を知らない。児童扶養手当の受給要件を知らない。法テラスという無料法律相談の制度があることを知らない。

これらの「知らなさ」は、個人の不勉強ではない。知るための回路そのものが構造的に遮断されている状態、「知ることすらできない」構造が存在する。

鈴木大介(2014)は『最貧困女子』において、最も過酷な貧困状態にある女性たちに共通する特徴を「三つの縁(えん)の喪失」として描いた。家族の縁、地域の縁、制度の縁。この三つの縁が同時に失われるとき、人は社会的セーフティネットの存在すら知りえない状態に置かれる。

無知学の視座から見れば、これは認識的排除の極限形態である。タバコ産業が疑念を「製造」するのは意図的な行為だが、貧困層の情報排除はより構造的なメカニズムによって生じる。誰かが意図的に情報を隠しているのではない。にもかかわらず、特定の層が体系的に「知ることができない」状態に置かれている。

経済的困窮
低所得・不安定雇用により 生存優先の生活を強いられる
情報アクセス制限
教育・メディア・相談機関への アクセスが経済的に制約される
知識格差
制度利用・権利行使に必要な知識が 得られず格差が拡大する
不利な意思決定
情報不足のまま判断を迫られ 結果的に不利な選択をしてしまう
図: 貧困の認識的排除スパイラル — 経済的困窮が知識格差を再生産する循環

背景と文脈

鈴木大介「三つの縁」の構造

鈴木大介のルポルタージュは、貧困の実態を「お金がない」という経済的次元だけでなく、「つながりがない」という関係的次元で捉えた点に意義がある。

家族の縁: 虐待、ネグレクト、家庭内暴力、あるいは家族の不在により、家族から情報を得る回路が断たれている。進学・就職・制度利用に関する基本的な知識が、家族を通じて伝達されない。

地域の縁: 地域コミュニティとのつながりが失われていることで、口コミや相互扶助による情報伝達が機能しない。行政の広報誌は届かない(あるいは届いても読めない/読む余裕がない)。

制度の縁: 最も重要でありながら最も断たれやすい縁である。制度は「知っている人」を前提に設計されている。窓口に行く交通費、申請書を書く能力、制度の存在を知るための事前情報、いずれも「制度の縁」を持たない人にとっては高いハードルとなる。

三つの縁は独立して失われるのではなく、相互に連鎖する。家族の縁が切れた若者は地域とのつながりも薄く、制度にアクセスする経路も持たない。一つの縁の喪失が、他の二つの喪失を加速する。

デジタル・ディバイドの手前にある構造的ディバイド

情報格差を語る際、しばしば「デジタル・ディバイド」が問題にされる。インターネットへのアクセスの有無、デジタルリテラシーの格差が、情報弱者を生み出しているという分析である。

だが、鈴木(2014)が描いた貧困層の情報排除は、デジタル・ディバイドの手前にある。スマートフォンを持っていても、「何を検索すればよいか」がわからない。「生活保護」という言葉を知らなければ、検索しようがない。制度の存在を知らなければ、情報を探す動機そのものが生じない。

これを「構造的ディバイド(structural divide)」と呼ぶことができる。デジタル・ディバイドが「アクセスの格差」であるのに対し、構造的ディバイドは「アクセスすべき対象の認知の格差」である。何にアクセスすべきかを知らない。この状態は、いかにデジタル環境が整備されても解消しない。

Frickerの認識的不正義との交差

Miranda Fricker(2007)の解釈的不正義の概念は、貧困層の認識的排除を理解するうえで不可欠である。

貧困の経験を語る言語は、社会の主流文化において十分に発達していない。「怠けている」「自己責任」「努力が足りない」、こうした言説が支配的な文脈では、構造的な要因によって貧困に陥った人が自身の経験を正確に語ることが困難になる。

さらに、貧困層が声を上げた場合、証言的不正義が作動する。「生活保護を受けているくせに」「働けばいいのに」という偏見が、証言の信頼性を割り引く。前の事例分析で見た障害者の証言的不正義と同様の構造が、ここにも存在する。しかも障害と貧困が交差する場合、その割引はさらに深刻になる。

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認識的排除と複雑性の武器化の複合

貧困層の「知ることすらできない」構造は、認識的排除と複雑性の武器化という二つのメカニズムが複合して形成されている。

メカニズム1: 制度の複雑さが利用を阻害する

日本の社会保障制度は、その種類と手続きにおいて高度に複雑である。

生活保護一つとっても、申請の流れは単純ではない。まず福祉事務所に相談に行く必要がある。そこで「水際作戦」と呼ばれる、相談段階で申請を思いとどまらせる対応に遭うことがある。申請が受理されても、資産調査、扶養照会、住居の確認など複数の手続きが続く。

住居確保給付金、高額療養費制度、教育訓練給付金、母子家庭等就業・自立支援センターと、制度は細分化され、それぞれに異なる窓口、異なる申請要件、異なる添付書類がある。本研究室の情弱ビジネス分析で論じた「複雑性の武器化」が、公的制度においても(意図的ではないにせよ)構造的に再現されている。

メカニズム2: 相談窓口の物理的・心理的距離

制度を知っていても、窓口にアクセスすること自体が障壁になる。

物理的距離: 福祉事務所は平日の日中しか開いていない。日雇い労働者やシフト制の労働者が、平日日中に窓口を訪れることは容易ではない。交通費の問題もある。

心理的距離: 「福祉のお世話になる」ことへの心理的抵抗は、日本社会において依然として強い。生活保護に対するスティグマは、受給資格がある人の相当数が申請しない(の低さ)原因の一つとされている。厚生労働省の推計では、生活保護の捕捉率は2〜3割にとどまるとの指摘がある。

メカニズム3: 「自己責任」言説による内面化

貧困は「自己責任」であるという言説は、日本社会において根強い。この言説は外部からの圧力であると同時に、貧困層自身に内面化される。

「自分が悪い」「努力が足りない」と内面化した人は、制度を利用する「権利」があるとは考えない。助けを求めること自体が「恥」として認識される。この内面化は、認識的排除の最も深い層に作用する。外部からの情報遮断ではなく、内部からの情報探索の放棄である。

橘玲(2016)は『言ってはいけない』において、能力と環境の相互作用が個人の努力だけでは乗り越えられない構造を生むことを指摘した。「努力すれば報われる」という言説が支配的な社会において、構造的な障壁の存在を指摘すること自体がタブーとなる。これもまた、無知の社会的生産の一形態である。

メカニズム4: 孤立が情報遮断を強化する

鈴木(2014)が描いた三つの縁の喪失は、上記の三つのメカニズムを加速する。情報が遮断されている → 制度を利用できない → 状況が悪化する → さらに孤立が深まる → 情報がさらに遮断される。

このスパイラルの中で、貧困層は「知ることすらできない」状態に固定される。Linsey McGoey(2019)の戦略的無知論が対象とする「知っているが知らないふりをする」構造とは異なり、ここでは「知るための条件そのものが剥奪されている」状態が問題になる。

貧困と無知のスパイラル

上記の4つのメカニズムは、線形ではなくスパイラル状に作用する。

貧困 → 情報探索の余裕がない → 制度を知らない → 制度を利用できない → 貧困が深化する → さらに情報探索の余裕がなくなる。

このスパイラルの起点はどこにもある。教育の不足から始まることもあれば、失業から始まることもあり、疾病から始まることもある。だが、一度スパイラルに入ると、そこから脱出するための「情報」にアクセスすること自体が困難になる。

Robert N. Proctor(2008)の無知の三類型でいえば、貧困層の無知は第一類型(ネイティブな無知、まだ知られていないこと)に近い。だが、決定的に異なるのは、「知るための条件」が構造的に剥奪されている点である。知識は存在する。しかし、特定の社会的位置に置かれた人々には到達しない。

これはProctorの類型を拡張する必要性を示唆している。第一類型と第三類型の間に、「構造的に知ることを阻まれている無知」(明確な意図者はいないが、制度・規範・経済的条件の複合によって特定の層が知から排除される無知)が存在する。

制度の「知っている人向け」設計

日本の社会保障制度は、「申請主義」を基本としている。権利があっても、本人が申請しなければ給付はなされない。この設計自体が、情報を持つ人と持たない人の間に構造的な格差を生む。

対照的に、いくつかの自治体では「プッシュ型」の福祉(行政側から対象者に情報を届ける仕組み)の試みが始まっている。税情報や住民票データから支援対象者を抽出し、案内を送付する方式である。技術的には可能だが、プライバシーとの緊張関係がある。

ここでも問いの構え方が重要である。「なぜ貧困層は制度を知らないのか」と問うのは、問題を個人の側に帰属させている。「なぜ制度は、最も必要としている人に届かないのか」と問い直すことで、構造的な設計の問題が浮かび上がる。

本研究室の問い

  • 貧困と認識的排除のスパイラルを断ち切るための「情報到達設計」として、どのようなアプローチが有効か
  • 申請主義からプッシュ型への転換は、どのような条件のもとで正当化されうるか。プライバシーと認識的排除のトレードオフをどう設計するか
  • 「自己責任」言説の内面化を解除するための認知的介入は可能か。それは「啓蒙」とどう異なるか
  • 本研究室の情弱ビジネス分析で論じた「複雑性の武器化」は、公的制度においても意図せず再現されているが、両者の構造的な差異は何か
  • 障害と貧困の交差(前の事例分析との接続)において、認識的排除はどのように複合化するか

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参考文献

title="Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing" authors="Fricker, M." year= source="Oxford University Press" url="https://global.oup.com/academic/product/epistemic-injustice-9780198237907" />

参考書籍

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