ざっくり言うと
- 獣医師の総数は令和6年末で39,664人とほぼ横ばいだが、小動物診療は増え、産業動物診療と家畜防疫の公務員獣医師は減っている
- 新卒獣医師の46%が小動物診療を選び、産業動物診療は11%にとどまる(農林水産省調べ)
- 焦点は単純な人手不足ではなく、市場が働く分野に人材が吸われ公共財の分野から抜ける職域偏在という配分の失敗にある
獣医師の総数は令和6年末で39,664人と、この2年で2.0%減った程度でほぼ横ばい。だが内訳は、小動物診療(ペット)が増え、産業動物診療と家畜伝染病の予防を担う公務員獣医師が減るという、はっきりした方向を持つ。新卒の46%が小動物、11%が産業動物という配分は、食料安全保障や家畜防疫という需要側の重さと一致しない。
何が起きているのか
獣医師の総数は39,664人とほぼ横ばいだが、小動物診療は増え、産業動物診療と家畜防疫の公務員獣医師は減る。新卒の46%が小動物、11%が産業動物へ進む
牛や豚を診る獣医師が、要る場所からいなくなっている。ただし、獣医師の数そのものが足りないわけではない。届出のある獣医師は令和6年末で39,664人。2年前の40,455人から2.0%減っただけで、ほぼ横ばいだ。見るべきは総数ではなく、その内訳である。
分野ごとに数えると、方向がはっきり分かれる。小動物診療、つまり犬や猫のペット医療に従事する獣医師は16,717人(42.1%)へと増えた。一方、牛や豚を診る産業動物診療は4,312人(10.9%)、家畜伝染病の予防やまん延防止を担う農林水産分野の公務員獣医師は3,117人(7.9%)へと、どちらも減っている。この両者を合わせて農林水産省は「産業動物獣医師」と呼ぶが、その合計は令和4年の7,771人(19.2%)から7,429人(18.7%)へ、獣医師全体の約2割にとどまる。
流れを決めているのは、これから獣医師になる人たちの選択だ。令和7年3月に卒業した新卒獣医師のうち、小動物臨床を選んだのは504人(46%)、産業動物診療は124人(11%)にすぎない。この偏りについて、農林水産省自身が「社会から獣医師に求められる職域と就業の希望先には乖離がある」と資料に明記している。数はいる。だが、要る場所に向かっていない。これを職域偏在という。
背景と文脈
小動物診療は市場が働き都市に立地できるが、産業動物診療は僻地往診で農家の支払い能力に縛られる。地域偏在も大きく、農業共済組合が供給の背骨を担う
なぜ新卒獣医師は小動物診療へ流れるのか。市場が働くかどうかの差が大きい。ペット医療は都市に立地でき、診療報酬を獣医師の側である程度決められる。飼い主が対価を払う私的なサービスとして成り立つ。対して産業動物診療は、農家の支払い能力に縛られ、広い農地や離島への往診が前提になる。家畜がいる場所は都市から遠い。同じ資格を持ちながら、働き方も収入の見通しも大きく違う。供給側の選択が、同じ方向へ押し続けられている。
地理の偏りも、この差を映している。産業動物獣医師は都市部にほとんどいない。診療施設ベースで見ると、産業動物の比率は東京都0.6%、大阪府0.5%に対し、宮崎県49.4%、岩手県43.8%、鹿児島県42.2%と、畜産の盛んな県に集中する。家畜がいる場所に獣医師がいるだけで、この濃淡そのものは自然なことだ。
ただし、この数字には限定がある。日本の産業動物獣医療には、開業医とは別のルートがある。農業共済組合(NOSAI)が雇う獣医師だ。診療にあたる者は全国で1,653人おり、診療施設ベースの産業動物診療1,762人とほぼ同じ規模になる。一般にはほとんど知られていないが、畜産地域の獣医療を実質的に支える背骨だ。開業では経営が成り立ちにくいからこそ、共済組合という別の仕組みが要る。産業動物診療の弱さを、供給構造そのものが裏付けている。
政策も手をこまねいているわけではない。令和8年4月時点で、47のうち46都道府県が獣医療提供体制の整備計画を定め、産業動物獣医師の確保に数値目標を掲げている。修学資金の仕組みもある。産業動物獣医師をめざす学生に、私立大学で月18万円、国公立で月10万円を上限に給付し、卒業後7年6か月から10年、産業動物獣医師として働く義務を課す。令和8年度の育成・確保対策の予算は2億9,400万円で、前年度から増えた。
構造を読む
不足ではなく偏在という配分の失敗。市場が働く分野に人材が吸われ、公共財である家畜防疫から抜ける。修学資金は待遇差そのものを埋めていない
この問題の芯は、人手不足ではなく配分の失敗にある。獣医師の総数はほぼ横ばい。その中で、市場が機能する小動物診療に人材が吸い込まれ、市場が機能しない公共財的な分野から人材が抜けていく。ペット医療は飼い主が対価を払うから成り立つ。だが家畜防疫や食料の安全は、誰か一人が対価を払う私的なサービスではない。社会全体が受け取る公共財だ。値付けのできない仕事から人が抜けるのは、需要が小さいからではない。市場がその価値を拾えないからだ。
抜け方の内訳を見ると、深刻さがわかる。産業動物診療の獣医師が2年で3.3%減ったのに対し、家畜伝染病の予防を担う農林水産分野の公務員獣医師は5.9%減った。診療医の減少が「診てもらえる牛が減る」問題だとすれば、公務員獣医師の減少は「有事の初動が遅れる」リスクに直結する。口蹄疫や鳥インフルエンザが出れば、平時は目立たないこの層が動員される。担い手が細れば、まん延を止める最初の一手が鈍る。
地域に偏っていることが、代わりのなさを生む。小動物診療は都市部で母数が大きく、一人抜けても入れ替わりが利く。産業動物診療は少数の地方県に偏り、新卒の流入も年間124人という小さな絶対数だ。特定の県で高齢化と引退が重なれば、その地域の畜産を支える獣医療が、全国規模で見ても急に細りかねない。
将来の需給推計もある。ただし読み方に注意がいる。日本獣医師会が参照値とする中心の推計では、2040年に産業動物で900人の不足、小動物で2,300人の超過と見込む。この推計の前提は2007年から2008年頃のもので、18年ほど前の仮定に基づく点は差し引いて読む必要がある。それでも、偏在が続くという方向は、いまの数字と重なる。
修学資金や就業義務は、産業動物獣医師の数を一定つなぎ止める。だが、小動物診療との待遇や働き方の差そのものを埋めるわけではない。市場が拾えない価値を、誰がどう支えるのか。獣医師という食料安全保障の担い手をめぐる問いは、耕す人の高齢化や自給率の議論と同じ連鎖の中にある。食料自給率38%の構造や農業の構造問題と食料安全保障が生産の担い手を扱うなら、こちらは生産を支える専門職の層だ。牛を診る人がいなくなる前に、市場の外にある仕事の値付けを社会の側が引き受けられるかが、問われている。
参考書籍
- 『獣医学概論 第2版(獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠)』(吉川泰弘、緑書房、2025年3月)。獣医学教育の全国共通カリキュラムに沿った標準テキストで、小動物臨床から産業動物臨床、公務員獣医師まで、獣医師の職域を体系立てて整理している。
参考文献
獣医事をめぐる情勢(令和8年7月版) — 農林水産省 (2026). 農林水産省 消費・安全局畜水産安全管理課
獣医事をめぐる情勢(令和6年2月版) — 農林水産省 (2024). 農林水産省 消費・安全局畜水産安全管理課
獣医師法第22条の届出状況(令和6年12月31日現在) — 農林水産省 (2025). 農林水産省 大臣官房統計部
獣医師の需給に関する検討会報告書(要旨) — 日本獣医師会 (2008). 日本獣医師会
獣医療の提供体制の整備を図るための基本方針及び関連予算 — 農林水産省 (2026). 農林水産省 消費・安全局