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一般社団法人 社会構想デザイン機構
ISVD-LAB-002基盤構築

フェミサイドの統計的不在(数えられない死の構造)

横田 直也
約6分で読めます

日本において「フェミサイド」は公式統計に存在しない。女性が性差別的動機で殺される現象は起きているが、それを測定する枠組みがない。統計の不在がいかに社会問題を「存在しない」ものにするか、無知学の観点から分析する。

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統計に存在しない問題は、政策上も存在しない。

何が起きているのか

日本の公式統計に「フェミサイド」という分類は存在しない。警察庁の犯罪統計は殺人・傷害致死・強盗致死等を記録するが、被害者の性別と加害者との関係を組み合わせた「性差別的動機による女性殺害」の集計は体系的に行われていない。

UNODC(2023)の「グローバル殺人研究」は、世界で年間約89,000人の女性がパートナーや家族に殺害されていると推計する。しかし日本からの対応データは限定的だ。国際比較の枠に当てはまるデータを日本が提供できていないからだ。

「フェミサイド」という言葉自体が日本の公式語彙に入っていない。これは現象の不在ではなく、現象を捕捉する概念と統計の不在だ。数えられないものは、政策上「存在しない」に等しくなる。

背景と文脈

「配偶者からの暴力」統計が示す断片

日本で女性への暴力に関して最も体系的な統計を提供しているのは内閣府男女共同参画局の「男女間における暴力に関する調査」だ。この調査はDV(配偶者暴力)の実態把握を目的としているが、殺害件数の体系的な集計は範囲外だ。

警察庁の「犯罪統計書」には「親族間の犯罪」や「配偶者間の殺人」の件数が一部掲載される。しかし「元交際相手による殺害」「性差別的動機による見知らぬ男性からの殺害」等の分類は存在しない。統計の設計が、把握できる問題の範囲を決めている。

国際的な定義の形成と日本の乖離

「フェミサイド(femicide)」という概念はDiana Russellが1970年代に定式化し、2000年代以降は国連機関が採用した。UNODCおよび国連女性機関(UN Women)は加盟国にフェミサイドデータの収集を求める勧告を出している。

しかし日本の対応は限定的だ。「フェミサイド」という用語を政府文書で使用した例は極めて少ない。法務省・警察庁・内閣府それぞれが異なる分類で女性への暴力を記録しており、統合・国際比較できる形式になっていない。

この乖離の背景には、「フェミサイド」という概念そのものへの抵抗感がある。「男女平等の問題として殺人を語ること」への政治的な異論が、統計整備の議論を遅らせてきた。概念に反対することで、測定の必要性を否定できる。これが沈黙の構造化のメカニズムの一形態だ。

「ストーカー殺人」と「DV殺人」の統計的断絶

日本において関連する統計として存在するのは、警察庁の「ストーカー事案」統計と、内閣府が把握するDV相談件数だ。しかしこれらは「相談件数」「検挙件数」であり、「女性が殺された件数」とは直接つながっていない。

相談された件数と実際に起きた暴力の件数の間には大きな乖離がある。内閣府調査は、DV被害を受けた女性の多くが相談していないことを繰り返し示してきた。相談しなかった被害は統計に現れない。統計に現れない問題への対策は立てられない。

構造を読む

統計が「見えない」状態になる三つの経路

日本においてフェミサイドが統計的に把握されない状況には、三つの経路がある。

第一は分類の不在だ。殺人統計において「被害者の性別と加害者の動機の組み合わせ」を体系的に記録する枠組みがない。「配偶者に殺された」は一部把握できても、「性別を理由に殺された」の認定が難しい。分類がなければ、集計もない。

第二は概念の未採用だ。「フェミサイド」を公式語彙として使わない限り、その定義に基づく統計設計も始まらない。概念の採用・不採用は、政治的な選択だ。用語を認めないことで、現象の測定を先送りできる。

第三は定義の論争だ。フェミサイドの定義は学術的にも議論が続いており、「性差別的動機」の認定を法的・統計的にどう行うかは難しい。この難しさを理由に統計整備を先送りすることで、問題が把握されない状態が続く。難しさは本物だが、それを「整備しない」理由にすることは政治的選択だ。

統計の不在が生産する無知の連鎖

統計の欠如生産される無知政策への影響
フェミサイド件数の未集計「日本では少ない(はず)」という印象対策立案の根拠なし
動機別殺人分類の欠如性差別的暴力の規模感が掴めない予防施策の優先づけ不可能
国際比較データの未提供国際勧告への応答困難国連評価での空白
相談件数と被害実態の乖離「相談が増えた=問題が増えた」の誤認施策効果の測定誤り

この表が示すのは、「統計を作らないこと」が政策的に中立ではないという点だ。測定しないことは、問題を「小さく見せる」あるいは「存在しないように見せる」効果を持つ。

無知学からの分析

Proctorとシービンガーが論じた無知学の核心は、無知が「知識の単純な欠如」ではなく「生産されるもの」だという点だ。フェミサイド統計の不在はその典型例だ。技術的な困難は存在するが、そこで思考停止することは、把握しないことを選択することに等しい。

EBPMにおける戦略的無知の阻害効果が論じた「エビデンスの不採用」と同じ構造がここにある。データがないから政策が立てられないのではなく、政策を立てるための優先度がないからデータが収集されない。問いの順序が逆になっている。

McGoey(2012)は「便利な無知」という概念を論じた。知らないことが特定の主体にとって都合よく機能するとき、その無知は維持される。フェミサイド統計の不在は、問題の深刻さが明らかになることを望まない力学と親和的だ。統計が整備されれば、対策を求める声に根拠が与えられる。

対抗の条件

統計の空白に対抗するためには何が必要か。

第一は概念の採用だ。「フェミサイド」という用語を政府文書に取り込むことで、定義の議論が始まる。用語の採用は議論の開始点だ。

第二は既存統計の再分析だ。現在の警察統計・DV統計を組み合わせ、フェミサイドの近似値を推計する研究は可能だ。国立女性教育会館などの機関が行う研究は、政府統計の空白を部分的に補う。

第三は国際基準との整合だ。UNODCの収集フォームに対応できる統計設計を国内で整備することで、「見えない」状態が少しずつ変わる。

測定することは、認めることだ。フェミサイドを統計に載せることへの抵抗は、問題を認めることへの抵抗でもある。その抵抗を「統計整備の難しさ」として語ることが、問題を把握されない状態に固定させるメカニズムだ。

参考文献

関連: 沈黙の構造化とは何か | EBPMにおける戦略的無知 | 毎月勤労統計の不正と国家的無知

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